ファミリー〜祟殺し編・沙都子救済作戦〜鉄平編



――夢を見た。
後味の悪い、嫌な夢。
いきなり襲われて、雨の中必死に逃げ回る。
逃げないと、この鬼に殺される。
もつれる足がもどかしい。
助けを求めようにも、いくら叫んでも声にならない――。

――痛い。
いたいイタイいたイ。
ただ怯え、暴力を受け止めるしかできない自分に、少女の姿が重なった――。

「………と、こ………っ!」
――自分の叫び声で目が覚めた。全身汗だくだった。
喉がひりひりと焼け付くように痛い。わしは荒い息を必死で整える。
「――っちゃん。……鉄っちゃん、大丈夫?」
「………あ、ああ………律子か。」
心配そうにわしを覗き込む律子の顔色もよくないようだ。
「鉄っちゃん、うなされてたよ。……鉄っちゃんも怖い夢見てたんだ…。
 アタシもさ、さっき怖い夢見て飛び起きたんだよ。」
「………そうだったんね。」
律子に手渡されたコップの水を一息に飲み干す。……潤いが心地いい。
「……なんかね、すごい金ヅルを見つけてさ、うまいこと美人局を進めてたんだけど…、
 そこの家の娘に見破られてさ、口を封じようとして返り討ちに遭っちゃうんだ。
 ………痛かった。怖かった。あんなの初めてだった。」
「………そうか………。」
シーツをつかむ律子の手をそっと握ってやると、ふうっと身体の力を抜いた。
「………アタシも、他人にあんな思いさせてたんだって……思い知らされたんだ。
 こんなこと思うなんてらしくないけどさ、……もう潮時かなって。」
いつもの自信に満ちた表情とは違う、とても辛そうな素の表情。
それは今まで見てきたどの表情より強く、わしの心を揺さぶった――。

「わしは―……雛見沢の姪っ子を虐待する夢を見たんだわね。
 なぜかお前がいなくて、わしは雛見沢に逃げ帰ってて、姪っ子に当り散らしているんだわね。」
「姪っ子………ああ、奥さんが苛めてるって女の子のことだね。
 お兄さんは出てこなかったの?奥さんは?」
「――ああ。なぜかいなかったんだわね。それで……。」
「――それで?」
「何でかはわからないが、祭りの夜にわしは誰かに……『何か』に殺されてしまうんだわね。
 嫌な夢だったわね……っ。」
「――鉄っちゃん……。」
律子の握られていない方の手が、わしの背中を優しく撫でる。

……怯えて震える兄妹の姿が脳裏に浮かぶ。
彼らは玉枝のヒステリーに怯えながら、必死に互いを慰めあう。
妹は兄にすがることで。兄は妹を守る使命を得ることで。
――わしが逃げ出したあの家で、きっと今も耐えているのだ――。

「………律子。」
「――うん。わかってる。アタシはこっちでまっとうな仕事に就いて待ってるからさ。」
「――ありがとうね、律子……。」




「ちょっと、沙都子っ!何ぐずぐずしてるのっ!早く食べなさいっ!まったくグズなんだから…!」
「………………っ。」
「なぁにその目は?ホントに反抗的で可愛くない子ね。あなたの『好物』だからってわざわざ作ってあげたんだから、
 そのかぼちゃの煮つけだけは残したら承知しないわよっ!」
「うぅ………っ。」
北条家に、今日も朝から玉枝のヒステリックな声が響き渡る。
沙都子は自分の目の前に置かれた皿のかぼちゃと睨み合っていた。
「――叔母さん、沙都子はかぼちゃが苦手なんです。
 僕がゆっくり食べられるようにしてゆきますから、今は許してやってください。学校にも遅刻してしまいますし。」
「何言ってるの!あなた兄でしょっ!?自分の妹だからって甘やかしてんじゃないわよっ!
 こんなに好き嫌いが多くて将来やっていけるとでも思ってるの!?」
なだめに入った兄の悟史を、玉枝はヒステリックに叱り付けた。
怒りの矛先を自分に向けさせようとしたのだろうが、逆効果だったようだ。
「――ほら、学校に遅刻しちゃうんですってよ?さっさと口を開きなさいっ!!」
「――い、いやぁあああああっ!!」
「――――――玉枝っ!!」
「………あんた………っ!」
わしは玉枝と沙都子の間に割って入り、強引に口を開かせようとしていた玉枝を沙都子から引き剥がす。
沙都子も悟史もそして玉枝も呆然としていた。
そりゃそうだろう。見て見ぬ振りして、結局見捨てて出て行ってしまったわしが、
今ごろこうしてのこのこと現れたのだから。
「―――もうええわね、玉枝。」
「なによ……今さら何しに来たってわけ!?」
「………けじめをつけに来たに決まっとるわね。」
「叔父さん……?」「叔父様……?」
「……わしはお前のヒステリーに耐え切れなかった。だが、お前をそうさせたのはわしのだらしなさが原因だったわね。」
真正面から玉枝を見つめて、ゆっくり話す。興奮しないように。させないように……。
「……ひとりにして悪かったわね。これからはわしも一緒にここにいるから。
 だから子どもたちに当たるのだけは許してやって欲しいわね。」
「あんた………何言ってんのよ?他に好きな女がいるんでしょ?放っといていいの?
 あんたみたいな寂しがりがカッコつけてんじゃないわよっ!!」
玉枝はわしから視線を反らし、吐き捨てるように叫ぶ。……敏感な玉枝は、やはり女の存在を嗅ぎ取っていたようだ。
「――ああ、確かにわしには好きな女がいるわね。そいつと一緒に生きたいわね。
 だがな、女に溺れるのはこの子らを立派に成人させてから。――そう決めたんだわね。」
「………あんた………。」
「おじさん……。」「………おじさま。」
これは嘘やハッタリじゃねえ、わしと律子で決めた本心だ。
やくざ者として生きてきたわしたちだ。
これくらいできないで、今後真っ当に生きられるわけがない。
兄貴に対する引け目も恐怖も、この兄妹を育て上げることで吹っ切れることだろう。
律子にはかなり待たせてしまうことになるが、承知の上だと優しく笑ってくれたから。


「――ふざけんじゃないわよっ!!」
黙っていた玉枝が突然叫んだ。
「子どものために、好きでもない女と一緒に暮らそうってのかい?冗談もたいがいにしときなっ!
 ――だいたいね、私はあんたなんかと一緒に暮らしたかないんだよっ!」
「――いや、しかし………、」
「いいかい、あんたや悟史じゃ沙都子を厳しく躾られないだろっ?
 ちゃんとした言葉遣いを身につけさせ、好き嫌いもなくさせなくちゃ、
 立派な大人に育たないだろっ!?……そりゃ、ちょっと厳しすぎたのは認めますけどね、
 あたしだってもう若くはない。早く自立できるだけの力を身につけさせなきゃって、それで…。
 ……でもさ、血が繋がってないからって遠慮するのはおかしいでしょ、――あたしらは家族なんだから。」
「………おばさま………。」「………叔母さん。」
……玉枝は、ただのヒステリーでああしていたんじゃなかったんだわね…。
「いいかい、家族ってのはいろんな形があるもんだ。
 血が繋がってなくたって、本当の親子みたいになれるはずだ。
 夫に女ができて離婚しても、夫が子どもを思ってることがわかるならそれでいい。
 自分をおし殺して無理してまで一緒にいられるなんてまっぴらごめんだよ。」
「………玉枝……。」
玉枝は戸棚の引き出しから一枚の紙切れを取り出し、わしに差し出した。
「――これ。あんたのサインと印鑑押すだけになってるから。
 ……手続きはこっちで済ませとくよ。それであんたは晴れて自由の身だ。
 でも女にかまけてないで時々はこの子らに会いに来なよ。 
 慰謝料はびた一文やらないからね。請求されないだけありがたく思いな。……それでいいねっ?」
渡された離婚届にサインと捺印を済ませ、玉枝に差し出す。
「玉枝………ありがとうね。」
「礼なんていらないよ。……やれやれ、やっとこれであたしも自由の身だよ。
 パートにでも出て働いて、新しい男でも見つけようかね。
 ……確かにあたしがずうっと家にいたんじゃこの子らも息が詰まっちまうだろうからね。」
「あの……叔母様。」沙都子がおずおずと玉枝の前に出てきた。
「私……叔母様のお心も知らずに生意気な態度をとってごめんなさい……でございますですわ。」
「………ほらまた。変な言葉遣いになってるよ。」
沙都子の頭をそっと撫で、やわらかく微笑んだ。…こんな表情もできる女だったんね…。
「――叔母さん。」悟史が沙都子の隣に並んで立った。
「僕もしっかりします。叔母さんの力になれるように。沙都子を立派な大人にできるように。」
「――そうだね。あんたは真面目な子だから、思い詰めると身体にも良くないよ。
 もっと肩の力をお抜き。――親子なんだからさ。」
「―――はい!」
抱き合って微笑む玉枝と悟史、そして沙都子。
わしはその姿を瞳に焼き付けて―――そっと一礼して背中を向けた。
「――――あんた。」
背中に声がかかる。玉枝だ。
「……今度は彼女も連れてきな。あんたにふさわしい女かどうか見定めてやるから。」
「―――おう、お前に負けないほどのいい女だわね!」
「言ったね。――よーし、とびっきりの手料理で迎撃してやるから覚悟しときな!」
背中を向けたまま、わしも玉枝も笑った。
「――叔父様。あの……ありがとうですわ。」
「叔父さん、どうかお幸せに。僕たちも新しい家族の幸せを築いていきますから。」
「―――ああ。また来るわね。」

わしは律子の待つマンションへ向かう。
もう帰れないと思っていた律子のもとへ、その日のうちに帰宅することになるとは思わなかった。
玉枝はプライドの高い女だ。わしの出現で、かえって頑なになるだろうと思っていた。
それがこんなにすんなりゆくとは――。

わしが玉枝のことをわかっていなかっただけなのか。それとも玉枝も夢を見たのか。………きっと両方だろう。

わしが今まで不幸にしてきた人の分まで、これから不幸にするはずだった人の分まで、大切な人を幸せにしてゆこう。
――それがわしの使命だわね。








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