「リナと礼奈とケーキと嘘。」 
  


お父さんに、女ができた。
それ自体は問題ない。
お母さんとは離婚して独り身が長かったのだから、娘としてはむしろ喜ぶべきことなのだ。
――相手が、まともな女性であれば、だけれど。
「あなたが礼奈ちゃんね。仲良くしましょうね。」
「はい、よろしくお願いします☆」
お互い笑顔で挨拶をかわす。
胸元と腹部の大きく露出した服。派手な化粧。染められた髪。
香水と夜の女の臭いをぷんぷんさせた、こんな田舎には不釣り合いな女。
――――――間宮リナ。
あまり詳しくは話さなかったが、父とは夜の店で出会い、仲良くなったらしい。
いつも帰宅が遅かったのはそのせいか……。
離婚して以来荒れ気味で、仕事にも就かず、母の残した慰謝料を食い潰している状態は気になってはいたが、
母と父との間を引き裂いたのは、何も知らなかった私があの男に懐いてしまったのも大きいだろう。
父は母にだけでなく、娘にまで裏切られたのだ。
それなのに母が去った今も私は父の元にいる。
――それは父にも私にも嫌な思いが蓄積されてゆく生活だろう。
けれど私は母の元になど行けなくて。
私がもう少し物事を理解できる年だったなら、最初からあの男ごと母を拒絶していたのだから。
――だから私は、父に言えなかった。
『お父さん、お仕事は――』
鬱陶しそうな顔。
『毎晩飲み歩いてたら身体に悪いよ。』
返ってくるのは生返事だけ。
『私、もう失敗しないから。もうお父さんを裏切らないから。だから、私を見て。――わたしを、たすけて。』
心の声をそっと飲み込み、私は宝探しに行く。

父に笑顔が戻ってきた。
毎日とてもいきいきとしている。
それはいいことなのだけれど。
増えてゆく家具が家の中を占領してゆく。
父の服の趣味も大きく変わった。
今までの生活水準とはまるで違う、とても高価な――。
……通帳からは少しずつ、けれどかなりの金額が引き出されている。
離婚して傷心の男を手玉に取るくらい、夜の女には他愛のないことだ。
いくらでも望むだけの金品を手に入れられるだろう。
私は最低限の生活ができればそれでいい。
雛見沢にいられるのなら多くは望まない。
母だった人の残したお金は罪悪感からかかなりの高額だったが、分不相応だ。
――確かにお金がなくちゃ生活できないけど、こんな状態が長く続いていいわけがない。
やがて貯金が尽きた時、就労意欲のない父は女にとってただの邪魔者になる。
最悪の事態が起こってしまう前に、なんとかしなくちゃ――!

「ねえお父さん、明日もリナさんと会うんだよね?」
「ああそうだが……どうしたんだい礼奈?お父さんがリナと会うのは嫌なのか?」
今まで自分たちの交際になにも口出ししなかった娘の言葉に、父は表情をこわばらせる。
「あはは、違うよお。レナもリナさんとふたりでゆっくりお話して、仲良くなりたいんだよ。
 だって、レナのお母さんになるかもしれない人なんでしょ?」
途端に父の口元が緩む。
「ああ……そうだな礼奈。お父さん、自分のことばかりで済まなかったな。
  リナには礼奈が会いたがってると伝えておくよ。――ウチの中で会うのかい?」
「ううん、レナにとって一番大切な場所に招待したいんだ。」
「……あの、不法投棄所かい?リナはああいう場所は苦手なんじゃないかなあ……」
「大丈夫。生ゴミはないから臭くないし、風通しのいい平らな場所にレジャーシートを敷いて、
 リナさんが汚れたり不快な思いをしないようにするよ。とびっきり美味しいケーキとあったかい紅茶も用意しておくから。
 ね、お父さん……!」
「ははは、熱心だな礼奈。礼奈がリナと仲良くなりたいって気持ちはよくわかったよ。
  明日は礼奈が先にリナと会うといい。その間お父さんは家で待ってるから……」
「うんっ。ありがとうお父さんっ☆」
父は警戒していない。
娘に甘えられて、恋人の存在も受け入れてもらえて喜んでいる。
大丈夫。今度こそ上手くやってみせるよ。

「――というわけなんだ。礼奈と会ってやってもらえないかな……?」
カモからの電話にとびっきりの猫なで声で応じると、なんかめんどくさいことを持ちかけられた。
……まあ、コブ付きにちょっかいかけてる以上、避けられない道だ。
むしろ向こうから交流を持ちかけてくれるのは手間が省けるかもしれない。
このカモの家で初めて会って以来、あの小娘はどう考えてもアタシに好感情を抱いているようには思えない。
にこやかに接してはいるが、アタシに対する不快感がオーラのように彼女を取り巻いているのがわかる。
美人局をスムーズに進めるにはあの小娘を手懐けるのが手っ取り早いだろう。
「……どうだろう、リナ?」
「ええ、喜んで!礼奈ちゃんの方から会いたいって言ってもらえて嬉しいわ……!」

「……ここか。よくまあ好き好んでこんな所に。」
翌日、アタシは指定された不法投棄所へと足を踏み入れた。
確かに臭くはないが、「要らない物」「棄てられた物」ばかりが積み重ねられているのはあまり気持ちのいいものじゃ
ない。
「これを乗り越えてかなきゃなんないのー?……やんなっちゃうなあ。――っと、」
ガタン……。
石かなにかを蹴ってしまったらしい。
ゴミの山に当たって結構な音が響く。
「あ、リナさーんっ。こっち、こっちですーっ!」
山の裏側から声がする。
迂回してみると、何もない空間がそこにはあった。
「えへへ、こんにちは☆」
「へえ……。」
ゴミの山の裏側には、雛見沢の綺麗な青空と木々が広がる静かなスペース。
中央に敷かれたレジャーシートの上に白いワンピースをふわりと広げて座っている礼奈。
そしてちゃんと陶器のお皿とティーカップに用意された高そうなケーキと紅茶。
……ガラスカバーで覆われていて埃の心配も要らない。
あのカモの言葉通り、アタシを招くためにかなり気を遣っているようだ。
「今日は突然ごめんなさい。――さ、リナさんもこっちに座って、一緒にお茶しましょう☆」
礼奈はアタシを見ても満面の笑みを崩さない。
若干の距離を置いた上でシートに座り込んだ。
広がったワンピースのおかげで、離れていてもそれほど不自然じゃない。
それがアタシへの気遣いなのか、彼女が守りたいパーソナルスペース確保のためなのか、
それともただの偶然なのかはわからないが。
「――はい、どうぞ☆紅茶の好みはお父さんに聞いてますから大丈夫ですよ。」
差し出されたティーカップを口に運ぶ。口に当たる感触もいい。――やっぱりカップもかなりの上物だ。
――うん。確かにアタシの好み通りの美味しい紅茶だ。
「美味しい。入れるの上手いね礼奈ちゃん。」
「あはは、良かった。ケーキもどうぞ☆」
アタシに皿を差し出しながら、自分もケーキを食べ始める。
「んー、美味しいよぉ〜、幸せだよぉ〜☆」
すごいとろけそうな顔してる。……やれやれ。
「ねえ礼奈ちゃん。」
「はい、なんですか?」
「礼奈ちゃんはさ、お父さんの相手がアタシみたいな女で嫌じゃないの?」
「あはは、やだなあリナさんったら。嫌に決まってるよ。」
指についたクリームを舐め取りながら事もなげに肯定する。
「――わ。礼奈ちゃん言うねえ。」
「だってリナさんもレナのこと嫌いでしよ?ぶりっ子してて気持ち悪いって思うよね?
  こんな場所で宝探しなんてしてる変な子なんて、好きになんてならないよ。」
「――まあね。別に毛嫌いまではしないけど、アタシとは合わないかな。」
不思議と、素直に出た言葉。
礼奈はそれを微笑みながら聞いている。
――不快じゃないんだろうか?
「レナもね、こんな田舎でそんな派手な格好して年頃の娘のいる家で性の臭いを漂わすような人は好きじゃない。」
辛辣だ。まあ当然の感情だろうが、それを当人に言う度胸には驚かされる。
「――でもねリナさん。」
ふいにフォークを皿の上に置き。
「私たちは仲良くなった方がお互いに得なんだよ。」
アタシの方へとにじり寄り、息がかかるくらいに顔を近付けて。
「リナさんはレナを味方に付ければ、お父さんも安心してリナさんを愛せる。
  リナさんの欲しいものもたくさん得られるよ。」
……どっちの意味だろう。まさか、気付いてる?
「レナはリナさんと仲良くなれば、お父さんもきっと私を見てくれる。
 自暴自棄だった生活もだいぶ落ち着いてきてる。お財布の紐がかなり緩んでるのは気になるけど、
 リナさんがお母さんになればそのあたりもちゃんと管理してくれるよね?」
なんとも言えない色の瞳で、アタシを見つめて。
「お父さんがちゃんとした職に就いて稼ぐようになってくれれば、リナさんはもっと幸せになれるよ。だからリナさん――」
手付かずのアタシのケーキを無遠慮にフォークで切り落とし、ひと切れ差し出してくる。
「レナと仲良くして、お父さんにも就職を勧めてくれたら嬉しいな。」
この子……アタシが金目当ての美人局だってわかってるの?
父親が酷い目に遭うだろうことがわかっていても、とりあえず勤労意欲が戻ってさえくれればそれでいいの?
そしてそれさえ叶えば、アタシがどれだけ搾り取っても構わないと――?
「………………」
「――どうかな、……かな。」
邪気のない瞳でアタシを見ている。
……確かに、損な話じゃない。
いざとなったら鉄っちゃんもいる。
娘公認の美人局なんて笑っちゃうけど、父親への複雑な愛憎が芽生えても不思議じゃない年頃だ。
その気持ち、わからなくはないよ。
「――ん。交渉成立ね。」
ぱく。礼奈の手からケーキを食べる。
生クリームとスポンジが口の中で溶けて広がり、甘い後味が残る。
「美味しい!」
「よかったぁ……!エンジェルモートの一番のお勧めケーキなんですよ☆」
「へえ。あそこのケーキなら美味しいはずよねー。」
ふたりしてケーキを次々口に運び、紅茶で流し込んでゆく。
「あー、美味しかったぁ☆」
お腹を抱えて見上げた空は、もう暮れ始めていた。
「たまには外で食べるのもいいですよね?……よね?」
「そうだね、認める。」
礼奈はてきぱきと後片付けをしながら誇らしげに笑っている。
「……そろそろあの人の所に戻らないとね。」
「今日はウチで夕食食べていってくださいね。レナ、腕をふるいますから☆」
「ホント?じゃあお言葉に甘えよっかな。」
「はい、ぜひ!――お父さん、私たちがこんなに仲良くなってるの見たらびっくりしますよ☆」
「あはは、そうだねぇ。――あの人ね、いつも礼奈ちゃんのことを気にしてたのよ。」
「そうなんだ。……よかった。」
だんだん暗くなってゆく道を、手を繋いで歩く。
「――あ、そうそう。ウチに来る時はその派手な格好やめてくれると嬉しいかな。……かな。」
「はいはい☆――でもさ、」
「なんですか?」
「あんたのその前がかっ開いたワンピースも、人のこと言えないと思うよぉ?」
「わー。レナ、これ気に入ってるんだよ。……だよっ。」
美人局を仕掛ける女と、被害者になろうとしている男の娘が、楽しそうに手を繋いで歩いてる。
あはは、変な光景。
――でも、悪くない気分だ。

「……ねえ、アタシと結婚してくれるなら、ちゃんと仕事に就いて欲しいな。会える時間が減っちゃうのは寂しいけど、
 貯金を食い潰すなんて贅沢に慣れちゃったら将来大変だもの。――ええそう。アタシたちの将来のためよ。
 ……わかるでしょ?」

「――あはは、リナさん大成功ですね☆お父さん、すごく熱心に仕事探し始めてますよ☆」
「まあね。これくらいならお手のもんよ。」
嬉しそうな声とは裏腹に、礼奈の表情は硬い。
「――レナが何度言っても全然聞いてくれなかったのに。……やっぱり『女』の言葉じゃないとダメなんだね。」
「あー、そりゃ仕方ないよ。男だもん。女の言葉と笑顔にとろけそうな顔してホイホイ言うこと聞くの。
  そりゃもう面白いくらいにね。目の前に結婚ちらつかせりゃ、男ヤモメなんて――……って、
  アタシも中学生相手になんて話してんだか……あんたはこんな風になっちゃダメだよ。言えた立場じゃないけどさ。」
「リナさん……」
表情が少しだけ緩む。
「……うん。リナさん全然そんなこと言えた立場じゃないよ☆」
「あはは。そーだよねぇ☆」


「それでな、その時先輩が……」
「へー、そーなんだー。楽しい職場でよかったわねー。」
アタシとの新生活のために働き始めたカモは、自分の居場所を見つけたらしく、日々いきいきとしている。
稼いだ金銭を惜しげもなく、むしろ誇らしげに、アクセサリーや洋服に変えてアタシに与える。
……ボロい。ボロすぎる。
楽勝すぎて張り合いがない。
「……それでなリナ、――リナ?」
「――え、あ……ごめんなさい。ちょっとぼんやりしちゃってたみたい。……なあに?」
夕食後のお茶をひと口すすり、姿勢を正す。
どうも最近、気が抜け気味なのよねー……。
「ほら、この間新しい指輪が欲しいって言ってたろ?良さそうなのを見つけたんだ。一緒に買いに行かないか?」
「………………」
アタシを少しも疑いもしないで、またアタシに貢ごうとしている。
瞳には生気が宿ったまま、けれど今までのような笑顔で。
「どうだろう、明日にでも――」
「ごめんなさい、明日は礼奈ちゃんと約束があるの。興宮に一緒に行くのよね、ねえ礼奈ちゃんっ。」
台所で洗い物をしている礼奈に聞こえるように声をかけると、慌てて手を止めて顔を出してきた。
「――あ、はいっ。ごめんねお父さん。レナが行きたいってリナさんにお願いしたんだ。」
「そうか、それじゃふたりで楽しんでくるといい。私は仕事仲間と会うことにするから。」
嘘を信じてあっさり引き下がってくれた。

「――ありがと礼奈ちゃん、話合わせてくれて。」
「えへへ、いいんですよぉ。あれだけでこのパフェ食べられるなんて嬉しいです☆」
興宮の喫茶店。
エンジェルモートではないが、ここのメニューもなかなかのものだ。
嘘を真実にするために休日に連れ出されて来た礼奈は、それでもご機嫌でパフェを口に運んでいる。
「……礼奈ちゃんは、こんなチョロいことに味しめて慣れちゃダメだよ。」
「――え?う、うん……。」
「今日は強引に連れて来ちゃったけど、約束とかなかったの?大丈夫?」
「うんっ。今日はまる一日空いてますから大丈夫なんですよ☆」
「そう。……礼奈ちゃん。会って欲しい人がいるんだけど、――いい?」
「うん。」
「多分楽しい話にはならないから、今のうちにパフェ食べちゃって。アタシ電話で呼び出してくるから。」
「うん、待ってる。――ずっと待ってたよ。」

「なんね、いきなり呼び出して……、」
「こんにちは。」
「おい、お前……っ!?」
呼び出されてきた鉄っちゃんは、アタシの隣にいる少女に目を丸くして絶句していた。
「ごめん鉄っちゃん。――そう、あのカモの娘だよ。」
「はじめまして、竜宮礼奈です。あなたの姪御さんの沙都子ちゃんにはいつもお世話になってます。そして多分、
  そう遠くないうちにウチの父もお世話になると思います。――お灸をすえてやってください。」
いかにもな外見の鉄っちゃんに物怖じもせず、さらりととんでもないことを言い出す少女に、
鉄っちゃんは慌ててアタシを見やる。
「なんのつもりね、せっかく今まで上手くいってたっちゅうのに……、」
「上手くいき過ぎなんだよ。このままじゃ確実にヤバい。パクられるとかそういう問題じゃなくて、アタシたち自身が。」
「………………?」
「リナさん……。」
「――とりあえず座って。コーヒーでも頼むから、まずひと息ついてよ。」
「ああ…………。」
憮然とした表情で席につく。
注文したコーヒーが運ばれてくるまで、微妙な沈黙が続いた。
「鉄っちゃん。……もうやめにしよう。礼奈ちゃんも、もういいよ。仲良しごっこも、もうおしまい。」
「リナさん、そんな……っ、」
「なに言っとるんねっ!デカいカモだってお前もあんなに喜んでたろうねっ!!」
「もう無理。この子は最初っから美人局だって知ってたよ。――この子の口をふさごうなんてバカなこと考えないでね。
  この子かなり頭いいから、自分に何かあった時のために何らかの対策もしてるよ確実に。
  ……知ってた?この子、あの園崎の次期頭首と親友なんだってさ。さすがにシャレになんないよねぇ?」
席を立ち上がりかけていた鉄っちゃんは、アタシの言葉と周囲の視線に、しかめっ面で座り直す。
「――アタシら、そこまでヤバい橋渡るほど金に困ってるワケじゃないでしょ?」
鉄っちゃんはおずおずと礼奈に視線を向ける。
礼奈は何も言わずに穏やかな笑みを浮かべていた。
肯定もせず、けれど否定もせず。
「――まさかお前、あのカモに惚れたんね?」
「何バカ言ってんの。もし他の男に惚れるようなことがあったら、アタシは真っ先に鉄っちゃんを排除するかトンズラ
  してるよ。アタシはこうして鉄っちゃんと一緒にいるし、ずっといたいよ。」
「…………そうか。」
ばつが悪そうにコーヒーをすする。
アタシも、そして礼奈も一緒にカップを口に運んだ。
「――なんていうか、さ。アタシがどれだけ金巻き上げてもへらへら笑ってるあいつ見てたら、自分がバカみたいに
  思えてきちまったんだ。なんか、すっごくむなしい。罪人にひたすら穴掘らせて、せっかく掘った穴を今度は埋めさせ
  るって刑罰があるって聞いたことない?――なんかさ、それ思い出しちゃったんだよね。」
あれはいつ、どこで知ったんだろう?
アタシがまだこんな悪事に身を染める前、幸せだったあの頃に、自分とはかけ離れた遠い世界の話として
軽い気持ちで受け止めてた覚えがある。
「アタシ、そんなむなしい生き方は嫌だ。そりゃ楽して稼げるのは美味しいけどさ、そんな金にありがたみなんてない
  からあっという間に散財して、あとにはきっと何も残らない。浪費ぐせが身に染みついて、堕落してゆくだけ。
  金のために好きでもない男と寝るのも、もうたくさん。」
「――それはわしもいい気持ちはしなかったわね。」
思わず口走ってしまった無神経な言葉に気付いてそっと礼奈を見るが、礼奈はカップをただ見つめていた。
あえて触れずに話を続ける。
「あいつはさ、働き出したら元妻の慰謝料には手を付けず、自分の稼いだはした金を貢ぐようになったんだよ。
  『これは正真正銘、私自身の力で稼いだお金だ』って。金は金なのに、慰謝料はまだまだたくさん残ってるのに……
 バカみたい。でも、そんなあいつより、自分の方がよっぽどバカみたいだなあって。」
「………………。」
「こんな気持ちで、美人局なんて続けられない。……このまま続けられたとしても、この子がすべてを知ってる以上、
 失敗に終わるのは目に見えてる。だから――」
「……今ここでやめてくれるなら、警察や園崎の人に何も言わないよ。約束する。」
礼奈が顔を上げ、鉄っちゃんをまっすぐ見つめる。
礼奈とアタシを交互に見て、すっかり冷めてしまったコーヒーをすすり、うつむきながらぽつりと呟く。
「……わしは、お前のしたいようにして構わんわね。だが、たとえ捕まらんでも、わしらはもう――」
「大丈夫だよ。」
鉄っちゃんの不安を打ち消すような、静かな自信に満ちた声。
「お父さんだって立ち直れたんだ。たとえそれが金目当ての嘘の恋でも、
  お父さんにとってはたったひとつの本当の恋だった。妻と娘に裏切られた傷を次の恋で癒せたから、
  きっと今度も大丈夫。だから、鉄平さんはもう大丈夫だよ。リナさんがいるんだもん。」
「……お前、変わった娘だわね。」
「だよね。アタシが見込んだだけのことはあるでしょ?……礼奈ちゃんはこうなること、予想してたのかな。」
「私はただ、誰も不幸にしたくなかっただけ。私も、父も、そしてリナさんと鉄平さんも。」
「そっか……。」
コーヒーカップに、カモの緩みきった笑顔が揺れる。
「ねえ礼奈ちゃん。――あいつを一番傷付けずに別れる方法はないかな?
  せめて美人局とは気付かせないようにしたい。」
「リナさん……。」
「そりゃまあ……気の毒だあね。けどよ、金はほとんど使っちまったんだろ?
  どうやったって納得なんかしないわね……、」
「お金はいいよ。貢いだのはお父さんの勝手で自業自得だから。返されたって嫌な気持ちが残るだけだし、
 金額の大きさを改めて思い知ることになっちゃうから逆効果。」
……やっぱりこの子は頭がいいな。
「でも礼奈ちゃん……、」
「――じゃあ、こんなのはどうかな。……かな。」

「――ねえ、ちょっと話がしたいの。……いい?」
「ん?どうしたんだいリナ?」
「――あ、じゃあレナは自分のお部屋に戻ってるよ。」
「いいの。礼奈ちゃんも一緒に聞いてくれる?」
「…………うん。」
食事を終え、ひと息ついたところを見計らって、アタシは静かに両手をつく。
何もかも承知の上の礼奈と、そして何もわかっていないカモの顔とを交互に見つめ。
「――ごめんなさい。今まで隠してたけど、私、かなりの額の借金があるの。理由?
  ……あんなお店で働いてたのよ、想像つくでしょ?
  ――ええそう。悪い男に引っかかって……ただでさえ家が貧乏で私の稼ぎが頼りだったのに、バカだよね。」
「リナさん……。」
「リナ……っ、」
「毎日必死に頑張ってたけど、あの店の稼ぎじゃ利子すらギリギリ。
  このままじゃ、もっと辛いことをする仕事に移らなきゃ、あっという間に膨れ上がってしまう。
  でもやっぱり、身体を切り売りするのには抵抗があって。――そんな中だったのよ。あなたに会ったのは。」
「リナ…………。」
いきなり始まった私の話に混乱しながらも、とにかく最後まで聞こうとしてくれているのがわかる。
ホントに、この男は……。
「あなたは私をお姫様みたいに大事に扱ってくれた。
  子どもみたいになんでも欲しがる私に、やさしく笑顔で応えてくれた。――とても、嬉しかったの。」
『ねえあなた。アタシ、あのネックレス欲しーい。』
『おお、リナによく似合いそうだな。』
『でしょー?……あ、でもこっちも素敵!んー、どっちもアタシ好みだから迷っちゃうわぁ。』
『そうだな。じゃあ両方買ってやろう。それなら迷わずに済むだろう?』
『きゃは、嬉しい!ありがとうあなた☆』
「――ねえ、気付いてた?あなたにねだって買ってもらった物を、一度も身につけていないこと。
  ……すぐに売り飛ばして利子の足しにしてたのよ。酷い女でしょ?」
「……リナ。どうして今、こんな話……」
「あなたに会えて、ほんのひと時でも夢を見させてもらえて嬉しかった。本当にありがとう。――私、田舎に帰ります。
  ある人と結婚すれば、借金を肩代わりしてもらえるの。年老いた両親をこれ以上苦しませずに済む。
  今まで苦労させた分、楽させてあげたいの。」
「リナさん、いいの?……お金のために結婚だなんて、後悔しないの?」
「――――しないわ。」
心配そうに見つめる礼奈をしっかりと見つめ返して。
「私はその人をよく知らなかったけど、彼は私のことを愛してくれているんですって。
  私と家の事情を知って放っておけなくて、今回の話を持ちかけてくれたのよ。だから――」
「お父さん、リナさんを許してあげて。リナさん、ずっと悩んで苦しんでたんだ。
  レナ、リナさんから相談されて知ってたんだよ。」
「礼奈……」「礼奈ちゃん……」
「レナもお父さんに言えなかったから同罪なの。本当にごめんなさい……!」
アタシをかばうように前に出て、半泣きで訴えかける。
こんな礼奈は初めて見た。
しばしの沈黙の後、カモは静かに口火を切った。
「……なんとなく、事情がある気はしていたよ。こんなヤモメ男と好き好んで付き合ってくれる女性なんていやしない
  からね。きみと出会った時の私は本当に最低の男だったから。」
礼奈が小さく首を振るのを、やんわりと首を振り返して否定して。
「私もきみと付き合うことで夢を見させてもらえたから、きみは私に何も返さなくていい。
  ――その結婚相手を、きみが心から愛せることを祈ってる。」
「……ごめんなさい、ありがとう……っ!」
演技のはずなのに、涙が止まらない。
バカだ。本当に心の底からバカな男だ。

「あれでよかったのかな。」
「うん。綺麗な物語になってたよ。お父さんもいいことした気持ちになれてる。」
礼奈に送られながら、夕暮れの雛見沢を歩く。
泣きはらした顔も、田舎道なら目立たないだろう。
「……嘘は嫌いだけど、幸せでいられるための嘘は必要だって、わかったの。」
「ありがとう礼奈ちゃん。……レナちゃんって呼んだ方がいいのかな?」
「ううん。リナさんには私の本当の名前で呼んで欲しいな。お互いの利害の一致のためだったけど、
  私はリナさんと仲良くなれてよかったと思ってる。」
「ん。――アタシもそう思う。」
……互いを良く思ってなかったのは本当だけど、今はそうじゃない。
「礼奈ちゃんと会えるのもこれが最後かな。興宮にいたら、田舎にいるはずのアタシとあの人と鉢合わせちまうかも
  しんないし。」
「大丈夫だよ。」
やけにはっきりと断言する。
………………。
「ねえ礼奈ちゃん。あの人、嘘だって気付いてる気がするよ。アタシに騙されてたって承知の上で、
  あんな風にアタシを許して、……今頃、ひとりで泣いてる気がする……。」
「うん。きっとそうだね。でも私たちの前ではそれを見せなかった。その強さがあれば大丈夫。
  リナさんがそれに気付いてくれたのもレナは嬉しいよ。」
「礼奈ちゃん。――ありがとう。」
貢がれてまだ手放していなかった物は換金して、鉄っちゃんから沙都子ちゃんに仕送りすることにした。
持っていても罪悪感しか残らない。
かといって返されても彼は喜ばない。
礼奈ちゃんと話し合って、そうすることに決めたのだ。
村長はけっして悪い人じゃない。
北条にいい感情は抱いてないだろうが、残された幼い少女をいくら古手梨花の頼みとはいえ彼女と同居させている
のだから、不憫に思っているだろうことは感じ取れる。
彼に謝罪の手紙とともに送金すれば、きっと沙都子ちゃんのために使ってくれる。
鉄っちゃんも納得してくれた。
「礼奈ちゃん。また今度、あの場所で。ふたりで一緒にケーキを食べよう。それまでに綺麗な仕事に就いて、
  ちゃんとお給料で用意するから。」
「うん。楽しみにしてる。その時はレナが紅茶を持って行くよ。」
ふたり笑顔で手を握り合う。
「その時はアタシのこと、律子って呼んで。……それがアタシの本名だから。」
「――――うん!」
またきっと、あの場所で。
礼奈と一緒に。
とびきり美味しいケーキと紅茶を楽しもう。
――それはきっと、そんなに遠い日のことじゃない。








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