「今はなき、声。」 
  


「……っく、……ふぇ……っ、」
――声が、聞こえる。
子どもの声だ。
沙都子とは違う、少女の泣き声。
沙都子は今、分校に行かせとる。
あんまり家でこき使わせるとなにかとうるさいからのう。
適当に開放してやらんといかんわね。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……っ、」
――まだ泣いてやがる。
わしが何かしたみたいで体裁が悪い。
わしは家を出て、声のする方へと向かった。
「……うっ、……っく……」
「――――おい、」
「………………っ!?」
長い髪の、神社によくいるあの巫女の格好をした後ろ姿に声をかけると、
そいつは大きく身を震わせた。
「……僕が、見えるのですか……?」
「あぁ?」
おずおずと振り返った少女は、頭に変なモノが付いていた。
「人の家の外で泣かれたら体裁が悪いわね。――中に入って顔洗え。」
「…………はい…………。」

「――まあ、茶でも飲め。」
「……ありがとうなのです。」
洗面所で顔を洗わせ、居間で茶を出すと、しばしためらってからそっと湯のみに手を伸ばした。
ひと口飲んでほう、と息をつき。
「……僕は見ての通り、こんな変な角が生まれつき生えていて、人前に出られないのです……。」
「そりゃあ……難儀だわね。」
涙でぐしゃぐしゃの顔を洗ったら、結構可愛い顔しとるのに。
確かにこんなでけえ角が付いてたら人前には出られんわね……。
「僕は、ずっとひとりぼっちで暮らしていたのです。」
「ずっと、……ひとりで?親は……おらんのか。」
「はい、もういないのです……。この村の自然は豊かですから、生活には困らないのです。」
――となると、わしもやろうと思えば自給自足でどうにか生きてゆけるわけだわな。
やろうと思う気力なんて、律子を失ってからとっくにないが。
「ひとり……か。わしも同じだわね。」
「鉄平も……ですか。」
「――なんで、わしの名前を?」
「僕は、この村の営みをずっと隠れて眺めていました。とても楽しそうで幸せな世界。
 でも僕はこんな身体だから、見ているだけしかできないのです……。」
知り合いも家族もおらんで、ずっとひとりで。
……わしは沙都子がいるだけマシかもしれんわね。
この村の人間は、この少女が姿を現したら、どんな反応を示すだろう?
……あの園崎のお魎しだいだろう。
あの婆さんの反応しだいで、この少女への反応が決まる。
わしの兄貴の時のように。
――姿を現さないのは正解だったろう。
「鉄平は……僕を気持ち悪いとは思わないのですか?」
「別に何とも思わんわね。乳の大きさが人それぞれ違うのとたいして変わらんけんのう。」
「……鉄平はいやらしいのですよ☆」
……やっと笑ってくれた。
「なあ、……おめーさえよければウチに住まねえか?姪っ子の代わりに家事をしてもらえると助かるんじゃが……。」
「僕が……ここに?僕はここにいてもいいのですか?鉄平の役に立てるのですか?」
少女の瞳が輝き始める。
「正直、姪っ子を無理に引きとめて世話をさせとるとわしの立場が悪くての。
 安心しろ、ガキには興味はねえからおめーは安全だ。」
「はい、それは承知しているのですよ。」
おどけたつもりがまともに返されちまった。

「それでは……鉄平。」
少女が畳に両手をつく。そして深々と頭を下げて。
「僕は羽入といいます。どうかこれから末永くよろしくお願いいたしますですよ。」
「おう……よろしく頼むわね。」
思わずつられて、わしも両手をつく。
しばらくして頭を上げたらまだ羽入は頭を下げていたから、わしも慌てて頭を下げ直す。
「――――ただいま帰りました……お客様でございますの?」
背後から、沙都子の戸惑う声。
このシュールな光景を目にすれば、まあ当然だわね。
わしは顔を上げ、沙都子に顔を伏せたままの羽入を紹介する。
「沙都子、今日からこの羽入がこの家でわしの世話をしてくれることになったんだわね。」
「こんにちは、はじめましてです沙都子。そういうわけですのでよろしくお願しますですよ☆」
顔を上げた羽入の、無邪気さを装ったものの、かなりの勇気を振り絞ったと見える挨拶。
「いらっしゃいませ……こちらこそよろしくですわ、羽入さん。」
沙都子は客人の予想外の若さに驚いたようだったが、羽入の角を見ても特別な反応は示さなかった。
……悪い娘ではないのだろう。ただ玉枝とそりが合わなかっただけなのだ。
「沙都子。お前は梨花ちゃまの家へ帰ってやりなね。今までこき使ってすまんかったのう。」
不思議と、自然に詫びが言えた。
「叔父様……!はい……。わたくしこそ、今まで反抗的な態度をとってしまって、申し訳ありませんでしたわ……っ。」
沙都子の素直な言葉が嬉しかった。
「――でも、羽入さんはどうしてこちらに……?」
まあ当然の疑問だろう。わしみたいなロクデナシの世話をしようなんて物好きはそうおらんけんのう。
しかも沙都子とそう変わらないほどの幼い少女なら、なおさらだ。
「――ほら。僕にはこれがありますから。だから人の前には出られないのです。
 鉄平が僕を必要としてくれて、僕はとても嬉しかったのですよ。」
「羽入さん……。」
「鉄平は、僕を気味悪がらなかった。」
「わたくしも、別に何とも思いませんですことよ?……羽入さんご自身がお気になさるのはわかりますけれど、
 きっとわたくしの仲間たちも同じだと思いますですわ。――叔父様、」
と、沙都子がわしを振り向き。
「こちらの生活に羽入さんが慣れましたら、わたくしの仲間たちをここに連れて来てもよろしくて……?」
そういや沙都子も、北条への差別を受けている身だった。他人事に思えんのだろう。
「……羽入がええなら、わしは構わんわね。」
「叔父様。……ありがとうございますですわ。」
「ありがとうなのです。沙都子、鉄平……!」
「わたくしは梨花の元に帰りますけれど、ご迷惑でなければこちらにも時々伺いますですわ。」
「ああ。だがまだ散らかっとるから、もう少し家が片付いてからにしてくれんね。
 汚い家に招くのは恥ずかしいけんのう。」
「そうですわね。――それでは、叔父様、羽入さん。失礼いたしますですわ。」
沙都子の背中は、今までのしょぼくれた猫背と違って、とても誇らしげに反っていた。
あんなに小さい子をこき使って、わしはいったいどうしていたのだろう。
「――さて。鉄平、食事の準備の前に軽く部屋を片付けておきますですね。
 鉄平は座ってくつろいでいてくださいです。」
「羽入っ!!」
部屋を出てゆこうとする羽入を強く引き止める。
「は……はい?」
「――――わしも一緒にやるわね。二人でやった方が早いわね。」
「…………はい!」

「梨花。ただいま……でございますですわ。」
「沙都子っ!?……沙都子なの?どうしたの、大丈夫なの?どうして?この世界はいったい……っ、」
「梨花。落ち着いてくださいまし。今説明いたしますですわ。」
「――そうなのですか、その羽入という子が、鉄平の世話を……。」
「ええ。羽入さんのおかげで、わたくし叔父様とやり直せそうなのですわ。」
「いないと思ったら、いつの間にそんなこと……」
「え?何かおっしゃいまして?」
「いいえ、何でもないのです。……鉄平の生活が落ち着いたら、ボクも羽入に会いにゆきたいのです。」
「ええ、その時はみんなで一緒にゆきましょうですわ。」
「今夜はシュークリームでお祝いしましょう。沙都子の帰宅と、羽入と鉄平の幸せを祈って。」
「――――――ええ!」

夕食を終えてひと息ついていると、羽入が真面目な顔で話し始めた。
「――僕は、ずっとこの村を見てきました。鉄平の兄がダム工事に賛成したこと。
 そのためにお魎を敵に回し差別に遭ったこと。
 沙都子の両親が死に、鉄平と玉枝がやって来て、玉枝と悟史がいなくなったこと。
 僕はずうっと見ているだけで、何もできなかったのです。」
「羽入…………。」
「お魎と周囲の反応を気にして差別を続けなければいけなかった村人の苦しみも、
 差別を扇動する形になって引き際を見付けられず悩むお魎の苦しみも、すべて。」
羽入の涙が、巫女の服を濡らす。
初めて会った時のように、顔中を涙でぐしゃぐしゃにして。
きっと今までもずっと、こうして泣いていたのだろう。
「……少なくとも、羽入のおかげでわしは沙都子とやり直せる。
 何もできなかった、じゃねえ。立派にいいことできたじゃねえか。自信持て。」
タオルで顔をがしがしと拭いてやると、照れくさそうに笑ってくれた。
「――わしらは、これから変わればいいわね。」
「――――――――はい!」

外に出られねえ羽入の代わりに、商店街へ買い物に出る。
冷たい視線を感じるが、羽入の言葉通りなら、それは本心からじゃないのだろう。
だから、わしは大丈夫だわね。
商店街の真ん中に立ち止まって、大きく息を吸う。
「――今まで挨拶が遅れてすまんかったわね。北条の家に戻って来た鉄平ですわね。
 沙都子は梨花ちゃまの家に戻って、今は病弱な親戚の娘の羽入と一緒に暮らしとるんね。
 これから職も探して真面目に暮らしてゆきますんで、これからどうぞよろしくお願いしますわね……!」
勇気を振り絞って一気に言うと、ざわついていた商店街中が静まりかえった。
「……これ、買わせていただくわね。」
返事がなくてもいい。
何もしないよりはずっといい。
商品を手に、代金を置き、一礼してその場を後にする。
――――――――その背中に。

「……りがとうございました。」
小さな、かすれた声。
それがきっかけとなったのだろう。
「またいつでも来てくだされ。」
「沙都子ちゃんや羽入ちゃんにもよろしく。」
「鉄平さん、今度お茶でも。」
「女の子の服、お古でよかったらたくさんあるから、今度持っていきますね。」
次々かかる、あったけえ声。
立ち止まって、空を見上げる。
そしてそのまま、顔が見えないように振り向きざまに一礼して、商店街を後にした。
こんな顔、見せられたもんじゃねえからな。
もしかしたら、沙都子を通じて梨花ちゃまから話が行っていたのかもしれねえ。
でも、嬉しかった。
羽入もきっと、喜んでくれるだろう――。

泣き声はもう、聞こえない。








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