「本当の神様。」 
   


 どうしてこんなことになってしまったのかしら。
 途中まではとても順調だった。
 すべてが私に味方した。
 それなのに……。
――私は神だ。神になるんだ。
 畜生。最後の最後まであがいてみせる。
 まわりのものすべてを、踏みにじってでも。

 ジロウさんは、私を拒んだ。
――それでいい。それでこそ、ジロウさんよ。
 だけど……この虚無感はなんだろう。

 もういいの。
 もうなにもかもおしまい。
 私はすべてを終わらせる。
 おじいちゃんの遺志を継いで叶えてみせる。
 たとえその後消されるとしても、この輝かしい偉業は残る。
 ジロウさん、――――さようなら。
 私はアクセルを強く踏み込み、本部へと向かった。
 
 素晴らしい夜だった。
 まさか麻酔なしでなんてやるわね梨花ちゃん。
 どういうつもりかは知らないけど、あなたの思いつきはとても刺激的だったわ。
 そして、私が神となる最大の「儀式」。
 私の掌の上で、あっけなく、大量の命が奪われてゆく。
――本当に、あっけなく。私の両親のように。

 私もきっと、上に消される。あっけなくね。
 だから今はこの喜びにひたらせて頂戴。

「三佐、――お疲れ様でした」
 作戦終了後、ワゴン内の椅子にもたれている私の元にコーヒーののったトレイを手にした小此木が訪れた。
 いいえ、作戦はまだ終わっちゃいない。まだ仕上げが残ってる。
「……ええ。さすがにハードだったわね。この後の世間の大騒ぎを楽しめないのは残念だけど、もういいわ。
 ――ありがとう」
 出されたコーヒーは、いつもより苦く感じた。
 一気に飲み干すと、乱れた髪を手ぐしで綺麗に整える。小此木はそれを横で黙って見ていた。
 そして私は拳銃を彼に手渡す。あの子たちを仕留めた、あの拳銃を。

――あの子たち。
 未だ続く差別の中、私に心を許して笑顔を見せてきた沙都子ちゃん。
 両親を殺した私に身を委ねながらもどこか警戒していた梨花ちゃん。
 私でない神を――オヤシロさまを狂信しているレナちゃん。
 実際には何の力もない園崎家の次期頭首、真のリーダーを失ったらとても脆かった魅音ちゃん。
 背中の刺青が泣いてるわよ。
 雛見沢のことを何も知らない新参者のくせに、リーダーに成り上がった前原くん。
 まっすぐな性格は嫌いじゃなかったわよ。どこかジロウさんに似ていたものね。
 沙都子ちゃんと悟史くんのために頑張った詩音ちゃん。恋は女を強くするものなのね。私にはわからない感情だわ。

「…………これは?」
「やあね、とぼけないで。作戦は終了したんだから私は用無し。そうでしょう?」
「………………」
「消されるのなら、今ここで、あなたがいいわ。それくらいは選ばせてもらえるんでしょう?」
「――そりゃまあ、三佐の功績は大きいですからね。……いいんですかい?」
「ええどうぞ。――一撃で頼むわね。あっけなく消えたいの」
「心得てますぜ、お姫様。王子様でなくって悪いですが」
「いいのよ。……最後まですまないわね。――――さよなら」
 パン……!
 狭いワゴンに乾いた音が響く。
 私は小此木を、小此木は私をしっかりと見つめたまま。
――さあ、私を貫いて。私が消し去った幾千もの命のように、あっけなく、私を、消して。

「………………っ?」
 放たれた弾丸が、私の頭の30センチほど手前で動きを止めた。
――時が、止まっている。小此木も撃った体勢のまま動かない。
 私の身体も動かないが、意識ははっきりしている。
 これも私を妨害する神の力だとでもいうの?
「どういうつもり?私には走馬灯を楽しむ必要なんてないのに、滑稽ね」
……ジロウさんには、こんなゆとりはなかったのに。薬で無理やり発症させられ、散々苦しんで――。
「私はね、もう未練なんてないの。神としての偉業を成し遂げたの。
 何もできやしないお飾りの神は黙って見ていなさい。見苦しく壊れる私の肉体に唾でも吐きかけるがいいわ。
 私は痛くも痒くもない。もう何も怖くないわ」
「――――あなたは、本当に幸せでしたか?」
 声が、聞こえる。幼さの混じった女の声。
「あなたを愛した人たちはもういない。あなたは誰ひとり本当に愛することなく死んでゆこうとしている。
 幸せだったと、心から言えますか?」
――幸せ?そんなもの、あるもんか。
 遠い昔。父母と過ごした幸せも、おじいちゃんと過ごした幸せも、小泉のおじいちゃんに認めてもらった幸せも、
  すべて奪われてしまった。
 奪ったのは、あんたじゃないか――――!
「あなたは本当に、彼らを愛していましたか?本当に愛していたのなら、一二三の遺志をこんな方法で果たそうなんて
  思わない。――そうでしょう?」
 パリン……!世界が、割れた。降り注ぐ破片ひとつひとつに、私の姿が映ってる。
 ジロウさんとふたり、雛見沢の自然の中を歩いてる笑顔の私。なぜかそこから目が離せない。
 私を取り囲むその破片の中の世界が、私の中に広がってゆく――!

「ジロウさん、今日も野鳥の写真を撮りにゆくの?」
「ああ、絶好のスポットを見付けたからね。――一緒に来てくれるかい?」
「くすくす、ジロウさんったら。本当に野鳥が好きなのねえ。――ええ、お付き合いするわ」
 私の承諾に、まるでプロポーズを受け入れてもらえたかのように顔を緩ませて喜んでいる。
 今まで私のまわりにはいなかった、純朴で不器用な男。腹の底が丸出しの彼の存在は不思議と心地よかった。
「ほら、ここだよ鷹野さん」
 人の手の入っていない木々の合間にできた直径1メートルほどの空間。
 古手神社の見晴らしのいい場所とはまったく違う、周囲は草木だらけの薄暗い場所ではあったが、
 そこにだけスポットライトのように光が差し込んできて輝く空間となっていた。
 私はジロウさんに勧められてそのライトの下に足を踏み入れた。
 努力が報われて昇りつめた私にはこの光り輝く舞台はぴったりね。
 光の当たらない場所は鬱蒼としていて、まるで昔の私のよう……。

 あのおぞましい懲罰の、深く、暗く、汚いものに身も心も汚された惨めな私。
 父と母と、平凡でも幸せな生活を送っていたはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう…。
 私と一緒に責め苦を受けていたみんなは、無事助けられたのだろうか。
 思い出したくもないことだから考えてもみなかったけど、私たちは運命共同体だったはずだ。
 おじいちゃんのおかげで私は助かった。
 でも、他の子たちはどうなったのだろう――?
 おじいちゃんには聞けなかったし、おじいちゃんは私の心の傷をわざわざ刺激するようなことはしなかったから。
 実際に手を下したかそうでないかの違いなだけで、命を奪ったことに変わりはない。
 彼女らが生きていようと死んでいようと、私の心の中で存在を消していた。それは殺したも同じことだ。
 
「……鷹野さん?」
 いけない、また嫌なことを思い出すところだったわ。ジロウさんに変に気を使わせてしまう。
「まあ……!こんな場所があったのね。この光がすごく綺麗」
 大げさに声をあげて喜んでみせると、ジロウさんは満面の笑みをたたえて何度も何度も頷いた。
「……でも残念。このあたりには野鳥なんていないみたいよ?」
「いるよ。――ほら」
 パシャ……ッ。
「あら。野鳥って……私のこと?くすくす」
「ああ。今日は“鷹”の撮影をね」
 カメラから顔を外し、私をじっと見つめながら。
「ここはあいつらも知らない場所だから監視の心配もいらない。君を1枚でも多くフィルムに収めておきたいんだ」
「…………ジロウさん」
「さ、ここには僕だけしかいないから、好きなように動いて。手持ちのフィルムがなくなるまで君を撮らせてもらうからね」

「あ!鷹野さん、富竹さん、こんにちは☆」
「――あら、レナちゃん。こんにちは」
 ジロウさんとの撮影を終え、二人で古手神社を歩いていると、突然レナちゃんに声を掛けられた。
 雛見沢を見晴らせる高台で、レジャーシートの上にちょこんと座っている。
「やあ。今日もみんなで昼食会かい?」
「はい☆みんなは今梨花ちゃんと沙都子ちゃんのお弁当を運びに行ってるんです。すっごくたくさん作ったって言ってた
 から楽しみ楽しみ〜☆はぅっ☆」
「レナちゃん?もうシートの上にいっぱいお弁当があるのにまだ追加があるの?……凄いのねぇ」
 シートの上にはレナちゃん、魅音ちゃん、前原くんの持参したそれぞれのお弁当らしき包みが鎮座ましましていた。
「んー……実はちょっと張り切りすぎちゃって……。食べるの大変かも。えへへ」
 頬を染めて困ったように、けれど本当は嬉しそうに笑うレナちゃん。
――作戦決行まで、もうそんなに日はないはず。
 なのに何も知らずに、こうして笑って、楽しそうに――。
「うふふ、レナちゃんはいつも幸せそうね。でもそんなに焦って一度にたくさん作らなくても、また来週の昼食会に
 まわせば――」
「ダメだよ」
………………!?
 レナちゃんの瞳が、吸い込まれそうな不思議な光を放つ。
「だって、――明日は来ないかもしれないから」
「……レナ、ちゃん…………?」
 目を反らせない。足が竦んでその場から動けない……!
「レナはね、知ってるの。幸せはいきなり終わってしまうこと。どんなに後悔しても取り戻せないこと。
  明日火山が噴火してみんな死んじゃうかもしれない。隕石が落ちてきて、地球ごとなくなっちゃうかもしれない。
  だからねレナはね、その時その時を全力で生きることにしたの。
 後悔するのはもうたくさん。あんな思いはもう二度としたくないから――」
「おーっ!レナちゃん、これすっごく美味しそうだねえ!本当に料理上手だなあ!」
 レナちゃんの呪詛のような言葉を、わざとらしいほどの大声が遮った。
「――はぅっ?ホントですか富竹さんっ☆」
「………………っ、」
 ジロウさんのフォローに、レナちゃんの瞳が元の輝きを取り戻した。
 深いところまで見透かすような瞳から解放され、私はホッと息をつく。
「――ほら、見てごらん鷹野さん。色の配分といい、メニューバランスといい、見事なものだろう?」
「はぅ〜☆富竹さん褒めすぎだよ……だよっ☆」
 図々しくシートに座り込んで勝手にお弁当を開けて見てるのに、レナちゃんは笑顔で喜んでいる。
「え?……あら本当。レナちゃんはいいお嫁さんになれるわね」
「はぅ……っ、鷹野さんってば……。お嫁さん……お嫁さん……はぅ〜☆」
 ジロウさんに見せられたレナちゃんのお弁当は、お世辞抜きで本当に見事なものだった。
 とても華やかで、丁寧で。几帳面な性格がうかがえた。
「――あ!もしよかったら一緒にいかがですか?富竹さんならきっと二人分は軽いでしょうし、人数が多い方がお食事
 は楽しいですから☆」
「お、いいのかいレナちゃん?」
 レナちゃんの誘いにジロウさんは二つ返事で応える。
――仕方ないわね……。
 まあ、『平和な日常』を楽しんでみるのも悪くはないわね。
「あら、私もいいのかしら?これでも私、結構食べる方なのよ?くすくす……」
「はぅ〜☆それじゃあお先にどうぞ!圭一くんたちも先に食べててくれって言ってましたから大丈夫ですよ☆」
「ありがとう、いただくわ」
「実は僕は腹ぺこだったんだ。遠慮なくガンガンいかせてもらうよ!」
「はい!たくさんありますから、どんどん食べちゃってくださいね☆」
 レナちゃんは上機嫌でシートの上にお弁当箱を広げてゆく。
 色とりどりで、栄養バランスも考えられていて、どれも美味しそう……。
「――――あ…………」
 花の形に盛られたチキンライス。
 きっと梨花ちゃんや沙都子ちゃんのために用意されたものだろう。
「あ、鷹野さんチキンライスお好きですか?同じのたくさんありますから食べちゃって大丈夫ですよ☆」
 レナちゃんの優しい気遣いの声が、遠くに聞こえる。
 あと一枚……お子様ランチの旗……お父さん、お母さん……。
「はた……」
「――え?なんだい鷹野さん?」
「あ、ハタですか?はい、どうぞ☆」
「あ…………!」
 レナちゃんが満面の笑みで小さな旗を差し出してきた。
「――ああ、なるほど。お子様ランチだね」
「えへへ。やっぱりチキンライスにはこれがないとですよね☆――はい、召し上がれ!」
 旗の立ったチキンライスを、勧められるままに口に運ぶ。
「あはは、鷹野さん、可愛いなあ。フィルム切らしてるのが惜しいくらいだよ。…………っ?」
「はぅ……たかの、さん……?」
 つぅ……。頬を涙が伝う。
「た、鷹野さんっ!?」
「鷹野さん、どうしたんですか?美味しくなかったですか……?」
「ううん、違うの。――美味しい……すっごく美味しいの……ありがとう、レナちゃん……っ!」
 スプーンの上に残った一枚の旗。あの時手に入らなかった、残り一枚の旗。
 私がずうっと欲していた、家庭の味。私が失った家族の暖かさ。
 小さな、それでも大切な幸せの味。
 梨花ちゃんの家族を殺して。
 沙都子ちゃんの家族を奪って。
 村中の小さな幸せを奪って、奪って、奪い尽くして――――。
 両親を失ってあんなに辛かったのに、私と同じ思いをさせるの?
 おじいちゃんは私を生かしてくれたのに、私は殺すの?
 違う違う、私が望んでいたのは――――!
「うわぅあぅあぅ……わあうぅぅ……っ、おいしい……おいしいよぉ……っ、わあああああん……っ!」
 レナちゃんもジロウさんも、後からやって来た前原くんたちも呆然としていた。
 どうして泣くのかと聞かれても答えられない、答えちゃいけない。
 ああ、私はなんてことを……!
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……っ!わああああああん……っ!」
  
――これは、本当にあった世界?それとも私の妄想……? 
「今度こそ間違えないで。進んだ道は引き返せない。今回はもう遅いけど、今の想いを心に刻み込んで、
 忘れないで――」
 声が聞こえる。
 泣いてる私の姿が、破片の中の世界が、だんだんと小さくなってゆく。
 走馬灯はもう終わり。世界が真っ暗になってゆく……。


――辛い思いをして、それでも必死に這い上がって、私は今の地位を得た。
 やっと女王感染者の協力が得られそうなのに、よりによってその母親が妨害してくるなんて……。
 彼女の存在がどれだけ研究を飛躍的に進められるか、それがどれだけ重要なことなのか、
 凡人である母親にはわからないのだ。
 このままじゃ研究所の存続自体が危うくなってしまう。
 ああもう、一体どうしたら……!
「了解しました。山狗で処分しますん……」
 小此木に吐き出すように案を求めた私に、思わぬ返事が返って来た。
「……それは、……殺すということ?」
 私の命令があれば、それは簡単に実行できると。そう小此木はさらりと言ってのけた。
 邪魔者は、殺す。目的のためなら手段を選ばない。
 この目的は極めて崇高なものだし、それだけの力が私にはある。
 梨花の母を、消せばいい――!
『鷹野さん』
……ジロウさん?
『みよ』
……おじいちゃん……。
 そうだ。ジロウさんもおじいちゃんも、私が手を汚すことを望みはしない。
 たとえ直接手を下すことはなくても、汚れた道を進めば汚れてしまう。
 あの恐ろしく汚らわしい便所の中で、それでも私の心は汚れなかったのに。
 人々を救うための研究をするのに、邪魔だからって人を殺すなんて、馬鹿げてる。
「小此木。――お気持ちだけいただいておくわ。主婦の一人説得できないで研究者を名乗れないもの」
「……承知しました」
「綺麗事で済まない世界だろうって笑われるかもしれないわね」
「でもまあ、そういう綺麗事も嫌いじゃありませんよ」
 せっかくの提案を蹴られたのに、なぜか嬉しそうに部屋を出てゆく。
――私もなぜだか嬉しかった。
 私の中のおじいちゃんも、優しく笑ってる。
……ジロウさんにこの話をしたら、きっと彼も笑ってくれる。そんな気がした。
「――さて、入江先生に古手さんの説得方法を相談しなくちゃね」
 私は穏やかな気持ちでコーヒーを口に含む。
 今日のコーヒーはなぜかいつもより美味しかった。

――今ならわかる。
 今までずっと聞こえていた声。あれは私自身。
 私が間違った道を進まないように、私の中の良心が私に問いかけてきていたんだ。

 辛い過去は過去。
 そこからどう変わるかが、本当の人生の始まり。
 見ていて、私を。
 お父さん、お母さん、おじいちゃん、小泉のおじいちゃん、ジロウさん、
 そして――本当の神様。

 私の中の、神様。









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