「レボリューション。」


 わたくしが弱かったから、叔母とうまくやれなかった。
 わたくしが弱かったから、叔父が出て行ってしまった。
 わたくしが弱かったから、叔母が死んでしまった。
 わたくしが弱かったから、にーにーまでもがいなくなってしまった。

 すべては、わたくしが弱かったから。

 みんなと楽しい時間を過ごし、夕食の買い物に一人出かけた商店街。
 わたくしの前に現れた、商店街には不釣合いな柄の悪い男――。
「――――おじ、さま」
 彼、北条鉄平の姿をひと目見たとたん、わたくしの中のなにかが、目覚めた。

 沙都子が学校に来なかった。
 風邪だ……ということになってはいるが、そんな理由じゃないことは梨花ちゃんの様子でわかる。
 ひどく沈み込んで、いつもの愛らしさのかわりに、うんざりしたような投げやりな雰囲気が漂っている。
 明るく振舞うレナも、どことなく元気がない。
 魅音はなぜかしきりに左手を撫でさすりながら、ただ唇を噛み締めている。
……なんなんだよ、これ。
 『いつもの俺たち』は、沙都子がいないだけでこんなになっちまうのか?
「――なあ、いったい何があったんだ?どうしちまったんだよ?」
「圭ちゃん……。えっと、その……」
「――レナが説明するよ。いいよね梨花ちゃん」
 泣きそうな顔で言葉を探す魅音をかばうように、レナが魅音の隣に寄り添った。
「……別に構わないわ。今話してももうたいして変わりはないから」
 梨花ちゃんは俺たちの方を見ようともせず、頬づえをついたまま答えた。
「――ありがとレナ。……圭ちゃん、ただひとつだけお願い。これから圭ちゃんが知ることはとても辛いことだけど、
  早まったことだけはしないで欲しい。動く前に私たちに相談して欲しい。前にそれで厄介なことになっちゃったから」
「ああ……?わかった。約束する」
 魅音はひどく真剣で、それでいてとても哀しそうだったから、俺はその願い通り、つとめて冷静にレナの話を聞いた。
 両親の不幸。血の繋がりのない叔父夫婦との同居。不和と虐待。荒れてゆく北条家。
 愛人のもとへと去ってゆく叔父。追い詰められる三人。
 そして叔母は死に、悟史は消えた――。
 俺の知ってる沙都子からは想像もつかない世界の話。だがそれは本当にあったことだ。

「そうか……そんなやっかいな叔父が今頃帰ってきちまったってのか……くそっ」
 それで梨花ちゃんはあんな風に投げやりになっちまったんだな……。
「親権はあの叔父さんにあるから、下手に動けないんだよ」
「――あ、魅音はどうなんだ?園崎家の力でどうにかなんないのか?」
「……圭一くん」
 レナが俺をたしなめてきたが、魅音は『いいよ』と言うように軽く首を振った。
「圭ちゃんには今まで話してなかったけど、この機会にちゃんと話しておくよ。雛見沢の過去を。
  北条家と園崎家のことを。おじさんが動けない理由を」

「そうか……魅音も辛い立場なんだな」
「……学校での沙都子の居場所を確保して、しがらみなんて関係ないよう振舞うのがおじさんには精一杯なんだ。
  学校の外じゃ、おじさんの立場は弱いんだよ」
「圭一くん、どうか魅ぃちゃんを責めないであげて。魅ぃちゃんもどうにか状況を変えようと必死に頑張ったんだから」
「ああ……ごめんな魅音」
「いいんだよ圭ちゃん。おじさんこそこんな大事なこと言わないでいて、ごめん」
 レナは俺と魅音とを見比べて、安心したように微笑んだ。
「とにかくまだ一日だけだから、荒れたお家のお片付けのお手伝いに呼ばれてるだけかもしれない。
 明日沙都子ちゃんが来なかったら、知恵先生にも相談してみようね」
「……もう何も変わりはしないわ。決まっていることだもの」
 梨花ちゃんの重苦しいつぶやきから逃げるように、俺は教室を後にした。
……俺はよそ者だ。この雛見沢村の複雑な事情もわかっていなかった。
 できることとできないことがわかってしまう分だけ、事情を知ってる魅音たちの方が辛いに違いないのに。
 俺は沙都子の様子を見に行くことにした。遠くからでも沙都子を見ることができれば安心できるかもしれない、
  そんな情けない気持ちからだった。
 ――北条家に到着すると、ちょうど玄関から沙都子が出てきたところだった。
「――あ、さ、沙都子……」
 ヤバい。まさか鉢合わせするとは思わなかった。早まったことだけはするなと言われたばかりだってのに……!
「圭一さんったら、わざわざ来ていただいたんですの?ビックリしましたわー!」
「沙都子……いったいどうしちまったんだ?急に休んだりして心配したんだぞ?」
「どうしたもこうしたも……をほほ、圭一さんももう少し大人になればわかりますですわー!」
 沙都子はいつものまぶしい笑顔を俺に向けてくる。その瞳には一点の曇りもない。
 ――よかった。どうやら元気なようだ。
「おう、沙都子。どうしたんね?」
「………………っ!」
 沙都子の背後に現れた、ガタイのいい、派手な格好の男。これが北条鉄平、沙都子の叔父か……。
 柄の悪いチンピラで、沙都子と悟史を置いて、叔母を捨てて愛人のもとへ出て行ってしまったいい加減な男。
 そのせいで沙都子と叔母の関係が悪化し、叔母が死に、追い詰められていた悟史までいなくなり、
 沙都子は相当辛い思いをしたらしい。
 梨花ちゃんと暮らすことでようやくここまで元気になったというのに、
 愛人が死んだからって今頃ノコノコやって来るなんて――。
「あ、叔父様っ☆」
 ぎゅうっ。
「――――っ!?」
 なんのためらいもなく叔父の腕にすがりつき、甘えたように見上げる沙都子。
……なんか話が違うんじゃないか?
「おいおい沙都子、お友だちの前でよさないかね」
「ダメですわー!放しませんですことよっ!――あ、圭一さん。わたくしはもうしばらく叔父様とふたりっきりで
 過ごしますから、みなさまにもそうお伝えくださいませ☆」
「――――はぁ?」
「いやぁ、圭一さんとやら、すまんわね。昨日こっちに帰ってきてからというもの、沙都子がずっとこの調子で、
  学校に行きたがらんのですわ」
「梨花にはちょっと寂しい思いをさせてしまうかもしれませんけど、一年ぶりの再会ですもの、しばらく水入らずにさせて
  くださいませ☆」
「あ、ああ……。みんなには伝えておくよ。沙都子の叔父さん、沙都子をよろしくお願いします」
「どうもどうも、こちらこそよろしく頼むわね!」
 笑顔で手を振るふたりに背を向けて、北条家を後にする。
 ――――何が何だかわからない。
 みんなには明日話すとして、あの叔父がどういった人間なのか、
  さっきの困ったような笑顔の叔父は沙都子に危害を加えたりはしないのか、
  そしてなにより沙都子のあの様子が気にかかる。
……監督に相談してみよう。叔父とも付き合いがあったって魅音も言ってたし、
  俺の知らない沙都子の事情も知ってるかもしれないから。

「――は?あの叔父に沙都子ちゃんが笑顔で?しかも自分から腕を組むとは……信じられませんね、
  ありえませんよ、そんな――」
「でも監督、俺は実際に見たんですよ?……あんたまさか、沙都子に変な薬でも飲ませたんじゃないだろうな?」
「はぁ!?ななな何をおっしゃるんです?くくく薬だなんて……!私はただ、注――」
「チュウ?いや、いくらなんでもそこまではしませんよ、腕組みだけですっ!!」
「え?あーーー……こほん、失礼しました。つい取り乱してしまって……」
 監督は紅茶をひと口飲んで、自分の取り乱しようを取りつくろっていた。
……まあ気持ちはわかる。監督は沙都子びいきだからな。
「前原さん、一緒に付き合っていただけますか?実際に見てみないことには、何とも言えませんので」
「監督、ぜひお願いします」

 ふたりで北条家へ行く。今度は鉢合わせにならないように、こっそり窓際へ移動した。
 この暑さのせいだろう、うまい具合に窓が開いていた。
  風になびくカーテンの陰から、俺と監督は中の様子を覗き見る。
「――お待たせいたしましたわ!沙都子特製特別メニューでしてよ☆」
「おお沙都子、今日はまた豪勢だわね!」
「叔父様のために腕をふるったんですのよ☆さ、冷めないうちにどうぞ召し上がれ!」
 いい匂いとともに、皿のいっぱいのったお盆を持った沙都子が台所から現れた。
 居間でお茶を飲んでいた叔父は運ばれてきた料理にご機嫌だ。
「お前は本当にええ子じゃのう」
「叔父様のためですもの、当然のことですわ」
 まるで本当の家族のように穏やかな、楽しげな食卓。

「沙都子ちゃん……」
「……ほら、変だよな沙都子……」
「これは……いや、まさか……。しかし、ありえないことじゃない……」
 顎に手をあて、難しい顔でブツブツ言っている。
「…………監督?」
「前原さん、これは……防衛本能が働いているのかもしれません」
「防衛……本能?」
「ええ。相手は血の繋がりのない、柄の悪い男。彼とは少しだけ付き合いがありましたが、
 ちょっとでも敵意や不快感を示すと過剰に反応して敵とみなす男です。
 そのかわり、自分に敵意を抱かなかったり穏やかに接して来る者には全面的な信頼を寄せてきます。
 ――私も寄せられている方でしたから」
「それじゃ、自分の身を守るために、あんな風に……?」
 部屋の中の沙都子は、本当に叔父に好意を抱いているように接していた。
 しかし、沙都子は嘘がつけないはずだ。俺に仕掛けてくるトラップだって、『わたくしは知りませんですことよー!』
  なんてバレバレの態度でしらばっくれるんだから――。
「無意識のうちに、本能がそうさせているのでしょう。沙都子ちゃん自身、それが演技だなんて意識すらしていないと
  思います。沙都子ちゃんは人よりその……想像力が強いんです。信じ込んでしまう、力が」
「これが……無意識に?そんなまさか……!」
「しっ、静かに。……一見無謀とも言えるこの方法が、沙都子ちゃんの身を守るには一番有効だったんです。
 きっと沙都子ちゃん本来の才能が、前原さんたちとの『部活』で開花したのだと思います。
 魅音さんの話では、相当過酷らしいですからね」
「俺たちの……部活が?」
 もし本当にそうだとしたら、魅音はどんなに喜ぶことだろう。自分は何もできないと哀しそうだったからな。
 改めて、部屋の中の沙都子を見つめる。
「今はまだわたくしも子どもですけれど、すぐに立派な大人になりますですわ!そうしたら叔父様をうーんと楽させて
  差し上げましてよ!」
 俺にも見せたことのないような、甘えた、それでもしっかりとした笑顔で。
 叔父へ全面的な信頼を寄せながら、叔父の支えになろうと宣言する沙都子。
「あーーー……なんか、これはこれでいいかも……」
「そうですね。沙都子ちゃんは笑顔です。たとえ防衛本能によるものだとしても、幸せに笑っています。
  彼もこんな沙都子ちゃんのそばにいれば、いい方向に変わってくれると思います」
「ああ……そうかもしれないな……」
「少しだけ、様子を見てみませんか?みなさんには私からも説明しますから」
「…………はい!」

「えぇ!?沙都子が、あの叔父に……?」
「圭一くん、それって……本当なんだね?……嘘じゃないよね?」
「……信じられないわ。そんな沙都子、私は知らない……!」
 俺は翌朝、みんなに昨日のことを話した。やっぱりみんなも信じられないといった様子だったが、
  一緒に来てもらった監督の説明で、どうにか事実だと納得してもらえた。
「……信じられないかもしれませんが、本当のことです。沙都子ちゃんは幸せそうに笑ってました。
  これからどうなるかはまだわかりませんが、沙都子ちゃんがあんなに強くなれたのは、みなさんのおかげです。
  ――本当に、ありがとうございます」
――そう、俺もこの部活のおかげで、勉強だけじゃない、生き抜くための力を得られた。
 一年も前からそんな過酷な部活動をやってのけている沙都子が、強くならないわけがない。
「部活が、沙都子を……。おじさんのやったことは、無駄じゃなかったんだ……!悟史、これでやっと悟史を笑顔で
  迎えられるよ……っ」
「魅ぃちゃん、よかったね。魅ぃちゃんの頑張りは無駄じゃなかったんだよ」
「沙都子は……頑張ったのですね。絶望の訪れに立ち向かったのですね。ボクはもうあきらめてしまっていたのに、
  沙都子は……沙都子……っ!」
 魅音もレナも梨花ちゃんも、ずっとこらえていたのだろう涙を、けれど笑顔であふれさせた。
  監督はそっと眼鏡を外して目元にハンカチをあてていた。俺たちの話を聞いていたクラスのみんなも泣いていた。
――俺も鼻の奥がつんとしてきた。恥ずかしいことなんてないんだから、今はそれに身をまかせよう。

「――ボクもあきらめないのです。沙都子と一緒に頑張るのですよ。にぱ〜☆」
みんなでひとしきり泣いた後、梨花ちゃんはとびきりの笑顔を見せてくれた。
「うん。レナも沙都子ちゃんの力になれるように頑張るよ」
「おじさんも、またみんなで部活ができるように頑張る。無駄なことなんてないんだって、わかったから」
「知恵先生には私から事情を説明しておきましょう。沙都子ちゃんは、本当にいい友人に恵まれましたね。
  ……本当にありがとう」
「俺たちはいつ沙都子が来てもいいように、もし万一助けを求めてくることがあってもすぐに動けるように、
  万全の態勢でいようぜ。――なあみんな!?」
 教室中に響き渡る大歓声。――聞こえるか、沙都子?沙都子はひとりじゃない。俺たちがいる。だから頑張れ――!

 それから三日経った。沙都子はまだ欠席続きだが、生徒たちの目撃情報では、すこぶる元気そうだったという。
 叔父と一緒に買い物をする姿も目撃されているようだ。俺はあれ以来沙都子の様子をあえて見に行かなかったが、
  その光景は容易に想像がつく。
 梨花ちゃんは村長や村の老人たちに簡単に事情を説明し、どうか刺激しないようにと頼み込んでくれていた。
 魅音も比較的話の通じそうな住民に話を通してくれているようだ。
 問題は魅音の婆さん――園崎家頭首のお魎だ。
 もうすでに叔父の帰還は耳に入ってるはずだが、魅音には何も言わないし聞かないらしい。
 沙都子と叔父の関係がハッキリしない限りは魅音からは迂闊に話題にできないようだ。
「お魎さんは待っててくれてるんだよ、きっと。……沙都子ちゃんと叔父さんの問題が解決するのを」
 レナの言葉に梨花ちゃんは黙って頷く。俺はお魎という人をよく知らないが、このふたりがそう言うのだから、
  きっとそうなのだろう。

「みなさま、おはようございますですわー!」
「「「沙都子!?」」」
「沙都子ちゃん……!」
 四日目の朝。ひょっこり教室に顔を出した沙都子に、俺も魅音もレナも梨花ちゃんも、まわりの生徒たちも
  沙都子をいっせいにとりかこんだ。
「沙都子、大丈夫か?どこも怪我はしてないか?」
「沙都子、こんな笑顔で……よく頑張ったね沙都子」
「沙都子ちゃん、……うん。どこも異常はないね。……よかった」
「沙都子……!よく頑張ったのです。今の沙都子なら、もう悟史をどうどうと迎えられるのですよ」
「いやですわみなさま!わたくしはすこぶる元気でしてよー!」
 叔父が来る前とまったく変わらないどころか、さらに芯の強さを感じさせる笑顔。
 なぜかそれがたまらなく誇らしかった。
「……沙都子、叔父さんのそばにいなくていいのか?こないだはあんなにそばにいたがってただろ?」
「ええ……本当はそうしたかったのですけれど、叔父に『学校にはちゃんと行け』と叱られてしまったのですわ」
「「「「叱られた!?」」」」
 教室中に緊張が走る。叱られたって……まさか今度はそういう形での虐待なのか!?
「ちゃんとした大人になりたいのなら、毎日学校に通うべきだって。自分はロクに勉強もしなかったからこんなダメな
 大人になってしまった、沙都子はちゃんと学校に通ってお友だちとも仲良くして、勉強だけじゃなく生きるために
 必要なことを身に付けろって……そうお説教されてしまいましたの。確かにその通りでしてよ」
「「「「へぇ……」」」」
 ただぽかんと口を開けて相槌を打つしかできない。あの叔父が、そんなことを……。
 俺ですらこうなのだから、去年の状態を知ってるみんなの驚きはさらに上だろう。
「叔父様、ちゃんとひとりでお料理やお掃除できるのでしょうか……大丈夫だなんて言ってましたけどちょっと
  心配ですわ。……圭一さんより下手なんですのよ☆」

 放課後は久しぶりに部活をして過ごした。早く帰宅しなくて大丈夫なのかと聞いたら、
「叔父様は、わたくしが健康で友だちと仲良く過ごすことが一番なんだって、そう言ってくれましたのよ。
  遠慮なんかしたらかえって申し訳が立ちませんですわ」
 ちょっぴり頬を赤らめながら、それでも誇らしげに言う沙都子の姿がまぶしい。
 沙都子は心身ともに絶好調で、圧勝だった。それはもう見事な勝ちっぷりで、魅音も素直に兜を脱ぐほどだった。
「すごいね沙都子。本当に見事だった。……きっと詩音にも楽勝だと思うよ」
「沙都子は本当に強くなったのです。ボクも嬉しいのですよ☆」
「うんうん、強い沙都子ちゃんもかぁいいんだよぉ〜☆」
「よし沙都子!罰ゲームを言ってみろ!俺たち全員沙都子に完敗だからな、何なりと受けてやろうじゃねえかっ!」
「それでは本日の罰ゲームは……みなさまこれからわたくしの家に来てくださいませ!」
 ……しばしの間。
「どうなさいましたの?たまにはこんな罰ゲームでもよろしいじゃありませんですこと?」
「それは……大丈夫なのか?家には叔父さんがいるんだろ?」
「えと、その……おじさんは行ったらまずいんじゃないかなー……『園崎』のことをよく思ってないだろうし」
「沙都子ちゃん、本当にいいの?大丈夫?」
「――――沙都子」
 俺たちの不安をよそに、沙都子は嬉しそうに帰宅の用意を進める。俺たちは戸惑いつつもそれに倣った。
「ええ、もちろんですわ!――実は罰ゲームでなくてもお招きするつもりでしたのよ。叔父様がそうしてくれって、
  ……あ、叔父様!」
 沙都子が先陣を切って廊下に出ると、ちょうど叔父が知恵先生に挨拶をしているところだった。
「おお、沙都子!お友だちはちゃんと誘えたかいね?」
「沙都子さんの叔父様にお菓子をいただいたんですよ。――どうもわざわざありがとうございます」
「いやぁ……先生さん、これからもどうかよろしくお願いしますわね。――さ、それじゃ沙都子もみなさんも、
 茶の用意はできとるんで……」
 北条家までの道すがら、沙都子は今日の部活の大勝利を誇らしげに語り、
  叔父はそれにうんうんと相槌を打ちながら俺たちにも色々質問してきた。
 俺たちも沙都子の今までの事や自分たちのことを少しずつ説明する。
「叔父様。あともうひとり、魅音さんの妹の詩音さんには今度会っていただきますけれど、みんなわたくしの大切な
  仲間ですのよ。わたくしの目は確かでございますでしょう?」
 沙都子の言葉が、くすぐったくも嬉しかった。
  叔父のひときわ大きな頷きが、暮れかけた太陽の光に縁取られてまぶしかった……。

「さあどうぞ。遠慮なく上がってくれんね」
 恐る恐る北条家に入る。中は隅々まで綺麗に片付けられていた。……沙都子、頑張ったな。
 通された居間で待っていると、お茶の用意のできたお盆を手に叔父がやって来た。
  沙都子は運ばれてきたそれを俺たちの前に並べてくれる。
 セッティングが終わると、叔父は沙都子をちらりと見る。
 若干緊張していたようだが、沙都子のにこやかな笑みに勇気付けられたのか、きゅっと唇を噛みしめた。
「圭一さん以外はわしがこんな風になっちまってさぞかし驚かれとると思うんで、これから少しだけ話をさせてくれんね。
  茶でも飲みながら、楽にして聞いて欲しいわね……」
 叔父は大きな深呼吸をひとつすると、ぽつりぽつりと語り始めた。

 律子の奴に、裏切られた。
 ヤバいヤマに手を出してわしの立場まであやうくなり、一度は逃げ出したはずの雛見沢へ再び逃げ帰ることに
  なっちまった。
 律子はその後、始末されたらしい。
  ずいぶんとむごたらしい死にざまだったと風の噂で耳にしたが、哀しさはなかった。
……いい気味だとも思わなかったが。
――雛見沢。玉枝のヒステリックな叫び声とあの小生意気な沙都子の反抗といい子ぶった悟史の仲裁。
  恒例の鬱陶しいやりとり。重苦しい家。
 村人の視線はいつも痛かった。遠巻きに見るだけで何もしてきやしないが、その目は『北条』を責めていた。
 いい思い出なんてない、決して居心地のいい場所ではなかったが、この際仕方がない。
  雨風をしのげるだけまだマシだ。
 それに玉枝も悟史ももういない。
  あのワガママな沙都子でも、『しつけ』のひとつもすりゃ家事ぐらいの役には立つだろう。
 荒れ果てた北条家には誰も住んでいなかった。考えてみれば当然だった。
  こんなデカい家にあんなガキひとりで住まわせておくほど村人も鬼じゃないだろう。
 施設ゆきか、誰かお人よしの村人に引き取られたか……。
 わしは商店街へと足をのばし、気の弱そうな村人にちょいと凄みを利かせて丁寧に質問して現状を把握した。
 さて、どうしたものか……。
 この村で権力のある“梨花ちゃま”とやらと同居しとるっちゅうことは、強引な手段をとると後々厄介だ。
 わしの快適な雛見沢ライフのためには、沙都子の存在は必須だというのに……。
 夕暮れの村を考えながら歩いていると、昨年より大きくなってはいるが見覚えのある小娘が歩いていた。
 わしがいた頃とはずいぶん違う、穏やかな表情で。
「――――おじ、さま」
 わしに気付き、一瞬身をこわばらせる。昨年とまったく同じ反応だ。――――が。
「叔父様!?まあ、ずいぶんご無沙汰ですこと!いつこちらに戻ってらしたんですの?」
 ぱあっと明るい笑顔をわしに向けてきた。――こんな顔、今まで見たことがない。
「ああ……ついさっきだあね」
「叔父様。雛見沢に、あの北条家にお住まいになりますですの?――いけませんわ!」
 沙都子の問いに頷くと、強い口調でわしを拒んだ……かのように、見えたのだが。
「わたくしは梨花のもとに身を寄せておりましたのであの家は掃除もしておりませんの。おひとりでお住まいになられる
  なんて無茶ですわ!もし叔父様さえよろしかったら、わたくしこれから叔父様と一緒にあの家で暮らして身のまわりの
  お世話をいたしますですわー!」
「――――――あぁ!?」
 確かに、身のまわりの世話をさせるために梨花ちゃまと暮らしてる沙都子を連れて帰ろうと考えてはいた。
 だがこんなにすんなりと、しかも自分から言い出してくるとは……!
「――沙都子、気持ちはありがたいんだが、その……梨花ちゃまとやらに悪いんじゃないんかね?」
 わしが無理やり連れ出したなんて噂が立っちまったら、いくら親権があったところで心証を悪くしちまう。
 ただでさえ低い評価をこれ以上下げることになったらこの先住みにくい。
「梨花には村長さんがついていますから心配いりませんわ。後でちゃんと説明すれば梨花だってきっとわかってくれます
  ですわ。それに……わたくしずうっと叔父様を待っていたんですのよ!」
「――――――はぁ!?」
「わたくしが反抗的で何もできない弱い子だったから、だから叔父様はわたくしを嫌って出て行ってしまったのでござい
  ましょう?この一年間、わたくし心を入れ替えて頑張りましたのよ。お料理だって、簡単なものなら作れるようになりま
  したから、きっと叔父様のお力になることができますですわ」
「わしの……力に」
「ええ!――さ、まいりましょうですわ!」
 沙都子に手を取られ、北条家へとともに歩きだす。身長差があるから中腰になって結構キツい。
……まあこれが目撃されてりゃ、無理やり連れ出したとは思われんわね……。
 小さな手は思いのほか力強く、そして暖かかった。
「――まあ、やっぱり!荒れに荒れたままじゃございませんのっ。掃除に来れなかったわたくしも悪いのですから
  人のことは言えませんですけれど……。叔父様はそこに座ってお茶でも飲んでいてくださいませっ。
  せめて水まわりだけでも綺麗にしておきますですわー!」
 持ち込んだ荷物を置くために少しだけ片付けておいた部屋の隅にわしを座らせ、茶を入れたかと思うとてきぱきと
  動きまわり、荒れた家中をあっちゅう間に綺麗にしちまった。
……そういや一年留守にしていたのに電気や水道といった公共関係は止められていなかった。
 梨花ちゃまを通じて村長がどうにかしていたに違いない。もしライフラインが止められていたら厄介だったろう。
――わしはほんの少しだけ村長に感謝してやった。思うだけならロハじゃしのう。
「――ふう。今日のところは取り急ぎざっと片付けるだけにしておきましたわ。今夜はゆっくり身体を休めてください
  ませ。明日から徹底的に綺麗にいたしますですことよ☆」
 徹底的に?もう充分片付いているように見えるが、沙都子的にはそうではないらしい。
「表面上取りつくろっただけですから、これをわたくしの実力と思われるのはまったくもって心外ですわ。もっと隅々まで
  綺麗にして、生活しやすいように家具のレイアウトも考えませんと……まだまだでございますわ」
「……そんなもんかいね……」
 ぐごぎゅるる〜〜。
 間抜けな音が片付いた部屋に響き渡る。
「をほほほほ……叔父様ったら大きなお腹の音でございますこと☆」
 今までなら恥ずかしさと笑われた屈辱感で一発殴りつけてるところだが、不思議と不快感はない。
「今すぐ夕食の支度をいたしますですわ。もう少しだけ我慢なさってくださいませ☆」
 わしの腹に向かって声をかけると、ころころと笑いながら台所へと消えていった。
……なんだかおかしな感じだわね。
 沙都子の料理は、美味かった。急なことでロクな用意がなかったにも関わらず、わしが持ち込んでいた食材を
  フル活用して、手軽な献立ではあったが立派な夕食を作り上げちまった。
 メシ屋の料理に比べたらそりゃランクは落ちるが、それでも玉枝の冷めきった砂を噛むような手料理や
  律子の味気ないレトルトとは全然違う、あったけえ料理だった。
「――なあ沙都子。わしが恐くはないんかね?」
 食後の茶をひとすすりして、わしは切り出した。
「ええ。ちっとも」
 にっこりとわしに答える。その瞳は澄みきっていて、嘘のかけらもなかった。
 が、まだ正直信じらんねえ。
 沙都子と玉枝がぶつかり合うのを無視し、時には手を上げることもあった。
 憎み、怯え、わしにあの時のような死んだ目を向けてくるかと思っていたのに、
  この豹変ぶりはいったいどうしちまったんだ?
――沙都子はひょっとしたら中途半端な記憶しか残ってないんじゃないだろうか。
 そうでなきゃわしをこんなに慕うなんてありえねえ。
 だが沙都子はそれを哀しげに笑って否定した。
「いいえ叔父様。あの頃のことはすべてハッキリと覚えておりますのよ、わたくし。忘れたくても忘れられません。
  弱かったわたくしのせいでみんなを不幸にしてしまったのですもの……」
 コポコポコポ……。
 わしの湯のみに茶のおかわりを注ぎながら、淡々と。
「あの頃のわたくしは頑なに叔母様を拒んで、わたくしのための厳しいお言葉をわたくしへの文句と勝手に思い込んで
 反抗するばかりの、弱い、悪い子でしたわ。叔父様にも嫌な思いをさせてばかりで、にーにーにも負担をかけて……
 本当に、馬鹿でしたわ、わたくし」
――いや、玉枝のアレはあきらかに理不尽なヒステリーだった。
 確かに沙都子のトラップとやらに腹を立て、この妙な言葉づかいを矯正しようとムキになってはいたようだが。
「もしもう一度やり直せるのなら、叔母様とももっと別の違った関係になれたはずでしたのに……」
 冷めきった茶をひと口含んで、沙都子は言葉を続けた。
「けれどやり直しはきかない。もう終わってしまったこと。叔父様はいなくなってしまった。叔母様も死んでしまった。
 にーにーまで、いなくなってしまった……。すべてを失ってから、わたくしはわたくしの愚かさにやっと気付いたんです
 の。ずいぶん後悔しましたわ。誰もいなくなったこの家で、わたくしはひとりぼっちで。
 梨花がわたくしと暮らすと言ってくれなかったら、わたくしはわたくしのままでいられたかどうかわかりませんでしたわ」
……悲痛な告白だった。
 わしだって商売柄、律子のような女をよく見てきたからそれくらいわかる。
 沙都子に邪心はない。計算でも何でもなく、過去を後悔し、心の底からわしを慕ってくれているのだ。
 玉枝と悟史を失って、心細かったに違いない。
 いつか帰ってくるわしや悟史のために強くなって、きっと必ずお詫びをしよう、自分のできる形で償いをしよう、
  そう心に決めて、その小さな身体で頑張ってきたのだろう……。

 それから数日間の沙都子との暮らしは楽しかった。わしと沙都子ふたりだけの世界。
 以前のおどおどと顔色をうかがう陰気ったい表情と違って、わしのどんな行いも見逃すまいと輝く熱心な瞳。
 警戒からでもアラを見付けて攻撃しようという類でもなく、大切な人のすべてを知りたいという純粋な欲求から来ている
  のだと、わしにもハッキリと感じ取れた。
 その視線はなんというか、照れくさいようでもあり、嬉しくもあり……。
 唯一の味方を得られてわしの心はずいぶんと軽くなった。
「叔父様!叔父様!」
 奥の部屋の片付けをしていた沙都子が突然台所へ消え、なにやら動きまわっていたかと思うと、
  いい匂いをさせながらわしの前に現れた。
 古雑誌を束ねていた手を止めると、目の前に黄色い物の挟まった箸が差し出された。
「押し入れから叔母様の日記を見付けましたですわ!叔父様は卵焼きがお好きだったのでございますわね☆
 わたくし、今までのお詫びとお礼をこめて一生懸命作らせていただきましたですわー!」
 沙都子のふるまった卵焼きは若干焦げてはいたものの、美味かった。
 今はもういない、顔も思い出せねえお袋が、わしのために作ってくれた卵焼きと同じ、ほのかに甘い味だった。
 その後、沙都子と一緒に玉枝の日記を読んだ。
 わしが出て行ってからのページは空白だったが、突然の兄貴の死で沙都子や悟史の面倒をみることになっちまった
  戸惑いや、それでもどうにか仲良くやってゆこうという玉枝なりの努力の日々が綴られていた。
「…………玉枝」
「叔母様のお心も知らず、本当に酷いことをしてしまいましたのね、わたくしたち……」
「今から一緒にあいつの墓参りに行くとしようね」
「ええ」
 こぢんまりとした北条家の墓。沙都子とふたりで綺麗にし、そっと手を合わせる。
 いつかそっちへ行ったらわしはきっと玉枝にどやされるだろうが、どうか今だけはわしらを見守ってて欲しいわね。
――墓前に沙都子の卵焼きを、ひと切れ。

 あったけえ日々。沙都子は毎日わしのために料理を作って、家中綺麗に磨き上げて、わしとだけ話をして……。
――これでええんじゃろうか。
 わしはもういい年だ。ロクでもない人生を送ってきた末に得られた穏やかな生活だが、沙都子はまだ子どもだ。
 これから友だちやまわりの大人とも交流して、色んなことを勉強して、まだまだこれから長い人生生きてゆかなきゃ
  ならん身の上だあね。
 沙都子はわしとは違うんだ。わしなんかと一緒にこんな閉じられた世界にこもってちゃいけねえ。
 順当にゆけばわしの方が先にあの世に逝っちまうんだ。その時に沙都子の選択肢をせばめるようなことだけは
  しちゃなんねえ。
「――沙都子。ちょっと話があるんね」
「はい。何ですの叔父様?」
 沙都子は畳んでいた洗濯物をタンスにしまうと、わしのそばにちょこんと座った。
「沙都子、明日からちゃんと学校に通って欲しいわね」
「……叔父様、何をおっしゃいますの?わたくしはまだ叔父様に何のお詫びもできていないんですのよ?
  お家の片付けだってまだ完璧ではございませんし、いずれは叔父様にも家事をお教えしようと……」
「沙都子。沙都子はわしのためだけに生きてゆくつもりかね?……ならそれは間違っとる。いつまでもわしべったりじゃ
  悟史が帰って来た時にがっかりさせちまう。勉強も遊びもたくさんやって、友だちとも仲良くしたりケンカしたり、色んな
  経験を積まなきゃ立派な大人にはなれねえわね。わしは沙都子をわしみたいなロクデナシにはしたくないんよ。
  わしの今の願いは沙都子が立派な大人になることだ。それがわしへの詫びにもなる。……わかるかね?」
「叔父様……」
 不満げにつぐまれていた口元はわしの真意を悟ってほどかれ、
 エプロンを握っていた手はそっとわしの手に重ねられた。
「わかりましたわ。確かにその通りでしてよ。ぐうの音も出ないとはこのことですわね☆」
「明日学校に行って、お友だちと勉強も遊びもしっかりして、そうしたら……
 沙都子は梨花ちゃまの家へ帰ってやりなね」
「そんな……!」
 声を荒げる沙都子の手をしっかり握って。
「沙都子。この数日間、本当に楽しかったわね。こんなロクデナシを笑顔で迎えてくれて本当に感謝しとるんよ。
  だからわしはもう大丈夫ね」
 梨花ちゃまも両親を亡くしていると聞いている。
 沙都子と暮らすことによって笑顔が増えた、とも。
 わしを数日間でこんなに変えてくれた沙都子。沙都子をこんな風に変えてくれたのは梨花ちゃまだ。
 沙都子にとって梨花ちゃまの存在が励みであったように、梨花ちゃまにとっても沙都子は、きっと――。
「わしはもういい大人で、ある程度は自分のことは自分でできるししなくちゃなんねえ。梨花ちゃまのおかげで沙都子は
こんなにええ子になれたんじゃ。梨花ちゃまのそばにいてやることが最大の恩返しになるんじゃないんかね?」
「………………っ、」
 沙都子はそっと目をふせる。梨花ちゃまとのことを思い出しているのだろう。
「…………でも、それじゃあ叔父様は……」
 長い沈黙の後。ずいぶんと小さな声で、やっとそれだけ口にする。
「わしなら大丈夫ね。沙都子が梨花ちゃまと暮らしても、わしはずうっとこの家におる。
  なんなら時々梨花ちゃまと遊びに来るといい。わしも沙都子に料理を教えてもらえると助かるけんのう」
 おどけたようにそう言ってやると、沙都子にまぶしい笑顔が戻った。
「叔父様……ありがとうございますですわ。わたくし、幸せでしてよ……!」
「それはわしの方だわね。この数日間、わしが今まで生きてきた中で一番幸せじゃった」
 沙都子も変わったが、わしも変わった。これからもずうっと変わってゆけるだろう……。

「――とまあ、こういった事情があったんだわね」
 叔父の話が終わった。不器用だがまっすぐな人柄がうかがえる話しぶりだった。
 きっとそのまっすぐさゆえに、一度踏み込んじまった悪い道からなかなか抜け出せなかったのだろう……。
「おわかりいただけまして?……梨花。いきなり勝手に留守にして申し訳ございませんでしたわ。
  また一緒に住まわせていただいてもよろしくて……?」
「もちろんなのです。毎日ずうっと食事の用意をして待っていたのですよ……!」
 梨花ちゃんもやっぱり寂しかったのだろう。沙都子の言葉に泣きそうな笑顔で大きく頷いた。
 そんなふたりの様子を見ていた叔父の、突然の土下座。
「みなさん。沙都子と悟史を置いて雛見沢を飛び出し女と暮らしていたわしのせいで、とんでもない苦労をかけちまって
  すまんかったわね……!」
 突然のことに、俺たちは顔を見合わせつつも次の言葉を待った。
 沙都子は『頑張れ』というようにじっと叔父を見つめている。
 ややあって、叔父が顔を上げて。
「特に梨花ちゃま。沙都子と一緒に暮らしてくれて、沙都子をこんなええ子にしてくれて本当にありがとうね」
「……ボクだけの力じゃないのです。みんな一緒だったからなのですよ」
「それから園崎のお嬢さん。『北条』が園崎や村中に迷惑をかけちまってすまないことをしたと思っとるんよ」
「え?あ……そんな、それはこっちの方だって……。あんなことにさえならなかったら、悟史や沙都子が辛い思いをする
  ことなかったんだ。だからどうか私には謝らないで」
 止めようと思えば止められていた、こんなことにはならなかった。
 そんな後悔をずっと抱いてきた魅音には、叔父の謝罪はかえって辛かったのだろう。
 レナがその肩を優しく抱くと、魅音はそのままうつむいてしまった。
「――いや、お嬢さんにはお嬢さんの立場ってもんがある。責めるつもりはないんよ……!」
「魅音さん。わたくしも、きっとにーにーも……魅音さんを責めたりなんてしませんわ。むしろここまでしていただいて
  感謝してるんでございますのよ」
「………………うん」
「――ほら魅音、顔を上げろよ。叔父さんの話を最後までちゃんと聞いてやろうぜ!」
「ひゃあっ……わ、わかったよ圭ちゃん」
 その頭をがしがし撫でてやると、赤面しながらも潤んだ瞳でしっかりと叔父を見た。
 叔父は昔のことを語り出した。兄がダム工事に賛成したこと。
 そのためにお魎と対立する形となり、『北条』が目の敵にされてしまったこと。
 いまだ続く沙都子への小さな差別とそれへの複雑な思いを梨花ちゃんがそっと漏らした。
――そんなこと、全然知らなかった。気付けなかった……。
 沙都子はふるふると首を振り、大丈夫だと言うように笑ってみせた。その強さが、逆に哀しい。
「わしは今でも、兄貴がダム工事に賛成したことを間違ってるとは思わねえ。
 兄貴なりに村を思ってのことだったからな。――だが正しい説得でなく対立するようなやり方はまずかった。
 お魎だって正面から来られちゃ反発するしかない。あれは失敗だったわね」
「鉄平の兄はお人よしだったのです。熱血漢で正直なのはよかったのですが、やり方がストレートすぎたのですよ」
「お兄さんは、ちょっと圭一くんに似てるかな、……かな」
「きっと他に相談できる相手がいなかったんだろうな。だから力押しで通すしかなかったんだ」
「そうだろうね。もっと村長さんやまわりの人と話し合っていたら婆っちゃだって、……ううん、もしもはやめとこう」
 沙都子がお茶を入れ直してくれたのでみんなで飲む。ひと息ついたところで叔父が切り出した。
「……わしは明日、お魎に正式に詫びを入れに行こうと思っとる」
――――詫び?魅音の身体が一瞬こわばるのがわかる。レナも真剣な瞳で叔父を見た。
 梨花ちゃんはただ黙って叔父を見つめてる。
「沙都子も一緒に来てくれると言ってくれた。どんな結果になるかはわからねえが、たとえ北条家にとって悪い結果と
  なったとしても、どうか沙都子の友だちでいて欲しいわね。沙都子をこんなに強いええ子に変えてくれたあんた方
  なら、きっと……!」
「――大丈夫だよ、鉄平さん」
 魅音の凛とした声が穏やかに降り注ぐ。
  さっきまでの負い目と怯えは感じられない、どこか吹っ切れた響きをもっていた。
「私たちは沙都子の仲間だ。沙都子は私たちにとってかけがえのない存在だ。だから心配いらないよ。
  もし婆っちゃが、――園崎家頭首が反発しても、私はすべてをかけて『北条』を守る。今度こそね。
  詩音もきっと同じ気持ちだよ」
「魅音さん、詩音さん……っ!」
「レナもだよ。――でもね魅ぃちゃん。お魎さんはそんな厳しい人じゃないよ。
 心からの謝罪を拒んだりなんて決してしない」
「レナさん……」
「俺も一緒に行くぞ。いざとなったらこの口先の魔術師がサポートしてやるぜ!」
「圭一さん……」
「――鉄平。私はあなたの存在を忌み嫌い、不幸の象徴としてきた。けれどそれは間違いだった。
  園崎家と北条家とのしこりを解きほぐすには、今のあなたは必要不可欠。欠けてはいけない存在だった。
  あなたがこんなに変われたんですもの、私ももっと変われるはずだわ。
  ――沙都子。これもすべてあなたが強くなったからよ」
「梨花ぁ……っ!」
 沙都子の笑顔が、優しく溶けた。叔父も、みんなも泣いていた。
 俺は涙をぬぐうと、勢いよく立ち上がる。
「明日と言わず、今日これから行くとしようぜ!思い立ったが吉日だ!」
「うん、そうだね圭ちゃん。一日でも早い方がいい。婆っちゃは今日は家にいるはずだよ」
「それじゃあみんなで一緒に行こう。そして笑顔でここに戻ろう。みんなで一緒にね☆」
「沙都子。ボクが――ボクたちがついていますですよ」
「みなさん……本当にすまんわね。ありがとうね……っ!」
「ほら叔父様、泣くのはもうやめにしましょうですわ!泣くのはすべてが無事解決してからですわよ?」
 俺たちはともに北条家を後にする。みんなで一緒にここに帰ってくるために。

 とても弱かったわたくしだけれど、変わることができた。
 そして叔父様も変わった。
 みんなもいつのまにか変わっていた。
 たとえそれが少しずつでも、集まればそれは大きな変化。
 この村全体のレボリューションは、もうきっと目の前。








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