「母と娘と1枚のストール。」



娘の学校の文化祭を訪れた私は、廊下をはしたなく走る女生徒たちの言葉に足を止めた。
「ほら早く!ジェシの出番始まっちゃうよー!」
「ジェシ、頑張ってたもんね!いい場所陣取って盛り上げなくっちゃね!」
ジェシ。――せっかくいただいた名前をそのように略すのは好ましくはないが、
娘の朱志香のことを言っているのは間違いないだろう。
他にそのような名前の生徒はいないはずだから。
あの子が何か行なうというのだろうか?生徒会長としての挨拶はまずまずの出来だったが……。
気にはなったが、校内では私の姿は目立ちすぎる。
思案に視線をめぐらすと、「手芸部作品展示販売」の看板とともに、淡い藤色が飛び込んできた。
手編みらしい、若干目は不ぞろいなものの、それでも丁寧に編まれたとわかるストール。
「――こちらを買わせていただきます。」
「あ、はい!……ありがとうございます!」
きっと編んだ本人だったのだろう、会計を頼んだ女生徒は、自分の努力が認められた喜びに
頬を紅潮させながら輝く瞳で代金を受け取った。
あのように感情をあらわにするのは恥ずかしいことだが、
ごく普通の家庭の娘なら咎められることもないのだろう。歳相応の娘らしい反応ではある。
……朱志香のこんな表情を、私は一度も見たことがない。
ストールで髪と上半身を包み込み、先刻の女生徒たちが走っていった方へと向かう。
姿を見失い焦ったが、彼女らの他にも娘の渾名を口にしながら先を急ぐ生徒たちがいたので
無事その場所にたどり着くことが出来た。

人はすでに大勢集まっており後列の方だったが、その方が都合がよい。
――楽器の置かれた小さな即席舞台。
あまり上品とはいえない衣装に身を包んだ我が子が披露したのは、
……なにやら難解な早口言葉のような歌だった。
それは右代宮家の人間として相応しくないものではあったが、娘はとても生き生きとしていた。
先刻の手芸部の女生徒のように。
言いたい言葉を飲み込み、悔しそうな、哀しそうな表情で口をつぐみ視線をそらす娘。
私たちに反発するように、男言葉で吐きつけるように話す娘。
そんな娘はここにはいなかった。
娘は自分を認められて伸び伸びとしている、そんな印象だった。
――私は、娘を認めてはいなかった。
「自分を認めて欲しい」そんな気持ちは誰よりもわかっていたはずなのに、娘にも同じ思いをさせていたなんて……。
歌はもう終わったというのにまだまだ盛り上がるその場を、私は逃げるように後にした。

「朱志香の方はどうだったかね、文化祭は。」
夕食時。夫が切り出した言葉に、娘の肩がピクリと動く。
「見ていましたよ。よく頑張っていましたね。」
私の言葉に、娘の頬は紅潮し、瞳が期待に輝き出すのがわかる。
「え、……え?!あ、……あはははは、ま、まぁね!」
「朱志香もなかなか落ち着きと貫禄が出てきましたね。生徒代表に相応しい振る舞いでしたよ。」
「…ぁ、…………ぁあ、…うん。」
私の言葉が違うことを指していることに気付いたのか、一気に表情が陰る。
本当は、何か一言声をかけたかった。
『上品とはいえない、日本語のもつ美しさのかけらもない歌ではありましたが、
 密かに練習を積み重ねてきた成果を出せたのであろうことはよくわかりました。……よく頑張りましたね。』
そう褒めてやりたかった。
私が夫やお父様に褒められたかったように、娘も褒めてもらいたかっただろう。――けれどこの場でそれは言えない。
夫の反応次第では、娘の唯一の居場所すらなくなってしまうかもしれないのだから。
「朱志香。……後で話があります。部屋で待っているように。」
「………、…はい。」
何かお小言かと身構えつつ、渋々頷く。美味しい夕食もきっと今の娘には、砂の味しかしないだろう。

「朱志香。――入りますよ。」
「……なんだよいったい……何も悪いことはしてないぜー?」
朱志香の部屋に入ると、娘はベッドの上でスカートのまま胡坐をかきながら、
隠し事の後ろめたさからか視線を合わせずぼそりと呟いた。
「いくら母親の前とはいえ、はしたないですよ。――これを。」
「――――え?」
組まれた足の上に、昼間購入したストールを被せる。
「文化祭で手芸部の作品を購入しました。――編み物というものは不思議ですね。
 ただの毛糸がこのようなストールになるのですから。」
娘は私の意図を測りかねているのか、ただ黙って話を聞いている。
「編み上げて形となるまでには苦労もあったことと思います。ですがその分、努力が形となり、
 評価を得ることで認められる喜びも大きいでしょう。――素晴らしいことです。」
「……私ゃ編み物なんてできないぜー?」
女性らしい趣味を持てというお小言と解釈したのか、不満そうに頭をかく。が、ストールをはずすことはない。
「ここでの生活も辛いものだと思います。……私も同じですから。」
「え…………?」
「認められないのは哀しいことです。ですが努力を重ねれば、いつかきっと認められる時が来る。
 ……私はそう信じています。」
「母さん……。」
娘の顔から反発の意志が消えた。
「母さん、それってひょっとして母さんの……?」
「そのストールはあなたにあげましょう。あなたの何らかの力になるかもしれません。
 それに女性に冷えは大敵ですからね。」
娘の言葉を遮り、ドアへと向かう。
「――あ、ありがとう……。」
困ったように、恥ずかしそうにただストールを撫でている娘の姿が、背を向けたままでもよくわかる。
「私は自室に戻ります。疲れていることでしょうから、今夜は早く休むのですよ。」
背を向けたまま、ドアノブに手をかける。
「――おやすみなさい、ジェシ。」
「――――――え?」
そしてそのまま後ろ手でドアを閉めた。
「え?……えええ〜〜〜っ!?」
扉の向こうから聞こえてくる娘のはしたない叫び声が、不思議と心地よかった。
――今夜は頭痛薬は要らないかもしれない。
 







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