「ぬいぐるみ」


ぬいぐるみが欲しかったんじゃない。
ぬいぐるみが羨ましかった。
お店の前を通る人みんながショーウィンドウ越しにニコニコしながら眺めてる。
私に向ける複雑そうな冷たい視線とは違う、暖かい、優しい視線で。
そんなクマのぬいぐるみを手にすれば、みんなの視線も変わるだろうか。
だから、人がいない時を見計らって、ショーウィンドウの中を覗き込んでいたのだ。
……そんな幼い思考のために、にーにーは余計な苦労を背負い込んでしまい、そして……。

梨花との生活や分校でのひと時は、あの時とは全然違う穏やかさに満ちている。
分校と診療所の中でなら、みんな私に優しくしてくれる。
だけどそれは「可哀想に思う気持ち」も確かにあって。
嬉しさとともに辛いしこりのようなものが胸にたまっていった。
母ですら愛してくれなかった。
私が一番ではなかった。
私は愛されなかった。邪魔者だった。

梨花が集会所に行っている間、私は一人裏山へ行く。
トラップに守られた小屋の中で、ぼんやりと膝を抱え込む。
このトラップは、私の鎧だ。
このトラップを乗り越えて、私の中に来て欲しい。
私を抱きしめて欲しい。

梨花は一緒にトラップを作っているし、要領がいいからいいところまではいくだろう。
でも梨花の知らないトラップもあるからきっと無理。
レナさんや魅音さんもいいところまではいくかもしれない。
でも梨花ほど慣れてはいないから、やっぱり無理だろう。
詩音さんも同じ。
にーにーには、このトラップはまず無理だろう。
それに第一、にーにーは……。

――でも、今なら。
圭一さんの転校してきた今だったら。
私たちの過去を知らない圭一さんによって
少しずつ変わってきている今のみんなが一緒なら、きっと――。

羽入さんまで加わって、さらに世界が変わってゆく。
やってきた叔父の理不尽な扱いにもただ耐えようとしていた私の鎧を、
みんなが、梨花が乗り越えて踏み込んできてくれた。
だから私も勇気を振り絞って叔父に対抗し、私は救われた。
私だけじゃない、梨花の抱える苦しみも無事に解決したのだ。

私のことをみんなが、村中の人々が心配してくれているのがわかる。
私は梨花の家や分校や診療所の外でも一人じゃない。
優しくしてくれる人たちがいる。
だから大丈夫。
私は何も恐れることなく、堂々とにーにーを待てるから。


「沙都子、お誕生日おめでとう!」
梨花にレナさん、魅音さん詩音さんに圭一さん、羽入さん。
みんなが私を祝ってくれる。
村の人たちからだというプレゼントで部屋中いっぱいだった。
「ありがとうございますですわ。私……幸せでしてよ。」
富竹さんや大石さんまで乱入してのどんちゃん騒ぎは夜まで続いた。
興奮を冷ますため、と外に出た私の後を詩音さんが追ってきた。
「月が綺麗ですね。」
「――詩音さん。飲みすぎましたの?いけませんわねぇ……。」
「あはは、それはお姉の方ですよ☆……ねえ沙都子。ちょっと付き合ってもらえませんか?」
「え?でもみなさんは……」
「いいんです。みんなには私と沙都子と二人っきりにしてもらうようお願いしてありますので。
 ――さ、行きましょう。別に取って食べたりしませんから大丈夫ですよ?」
笑いながら差し出してきた手をとり、月明かりの中を一緒に歩く。
夜の涼しい空気が心地よい。魅音さんとは違う、けれど同じように暖かい手。
何もしゃべらず、ゆっくりと。時々顔を見合わせて、軽く微笑む。
何も言わずとも通じ合う、穏やかな時間――。

「――さ、着きましたよ沙都子。」
「ここは診療所じゃございませんの。――まさか詩音さん?
 中で監督がメイド服を手に待ってるってことはないですわよね…?」
「あはは、それはないですよ。監督は特注のメイド服の受け取りに専門店に出張中ですから。」
「…………それは、わたくしが着用させられるのでございますですの?」
「さあどうでしょう?……まあそれは後日のお楽しみってことで。
 監督の許可は得てますから、ちゃっちゃと中に入っちゃいましょう。」
「ええ……。」
――この素朴な村には不釣合いな近代的な設備。
私の検査の時にもそれは感じていたけれど、この部屋はさらにすごかった。
テレビカメラのようなものや、難しい数字や記号の並ぶ計測機械らしいもの、
そして開いた自動ドアを通り抜けたその先には――。
「にーにー……!」
「しー。悟史くんは眠っていますから、あまり大きな声は出さないでくださいね。
 事情はこれからお話します。――さ、どうぞ。」
真っ白い部屋のベッドで、穏やかな表情で眠っているにーにー。
その横に置かれた椅子に座り、私にも着席するよう勧めてきた。
ギシ……。
静かな病室に響く椅子の音に焦って振り向くが、にーにーは気付かず眠ってる。
「これくらいでしたら大丈夫ですよ。……それでは、お話しますね。」

「……そうでしたの、にーにーも私と同じ……。」
「ええ。私も最初に知った時はショックでした。でもその苦しみは、なぜか私にもわかる気がして…。
 悟史くんは悟史くんです。沙都子が沙都子であるのと同じように。」
「詩音さん……。」
私とにーにーの罪を、詩音さんは自分なりに考え、そして受け入れてくれた。
罪も含めて、私たちなのだと。
「――でも、そんなに酷い状態ですのに、私に知らせてしまってよかったんですの?
 監督が口止めをされていたお気持ち、痛いほどにわかりますもの……。」
監督は、にーにーのことを隠していたけれど、
それは回復の見込みのないにーにーという新たな重責を私に背負わせたくなかったから。
叔母を手にかけ、そしてこんな酷い状態になってしまった原因は私にあるから。
爆弾を抱えている私の心に、これ以上の負担はかけさせたくなかったから。
監督はいつも明るく振舞っているけれど、悲しみや苦しみを抱えているのは気付いていたから。
「監督がね、沙都子に教えていいって言ったんですよ。――その意味、わかりますよね?」
「え…………?」
「悟史くん、快方に向かってきているそうです。拘束具も外されました。
 まだ意識こそ戻らないものの、穏やかな笑顔を浮かべるようになりました。
 心身ともに受けていた深いダメージも、監督の研究でかなり改善されたって……。
 だからね沙都子、これからは私と沙都子と、みんなと一緒に悟史くんの目覚めを待ちましょう。
 私たちが呼びかけを続ければ、そう遠くないうちにきっと目覚める。
 そうしたら、悟史くんから直接あれを受け取ってあげて……!」
「『あれ』?……あっ!」
入口横のテーブルに大切に置かれていたクマのぬいぐるみ。
あんなに追い詰められていたのに、私のために、ちゃんと買っておいてくれていたんだ――!
「…………ふ、うぅ……っ、」
あふれ出てきた涙を、詩音さんが差し出してくれたハンカチで慌ててぬぐう。
「来年の誕生パーティーはここでやりましょう。そして悟史くんにあれを渡してもらって、
 『おめでとう』って言ってもらいましょうね、――ね、沙都子……!」
詩音さんも泣いていた。ハンカチを返すと、詩音さんは真っ赤になって涙を拭いた。
詩音さんも、私に秘密を持って辛かったに違いない。
にーにーの容態がよくなるまで、どれだけ不安だったことだろう……。
「ええ。必ずここで。みんなで力を合わせればできないことなんてないんだってこと、
 私たちはもう知っていますから。」
二人でにーにーに挨拶をして、そっと病室を出る。
最後にそっと、にーにーを見守るクマのぬいぐるみに手を振って。

『――もう、羨ましくはないんですのよ。きっと素直な気持ちで可愛がることができますわ。
 その時を楽しみに待ってなさいませ☆』









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